


【MS61】1815年 イタリア パルマ マリー・ルイーズ 40リラ金貨
幼少期から憎んでいたナポレオン1世と政略結婚したマリー・ルイーズ。 ナポレオン1世失脚後にマリー・ルイーズがパルマ公国の統治者となってすぐに発行された、40リラ金貨です。 流通通貨ながら、当コインはNGCにてMS61の鑑定を受けている未使用コイン! 美しい紋章の模様や文字まではっきりとした美品です! ■デザイン 表面:マリー・ルイーズの左向きの肖像 銘文:MARIA LUIGIA PRINC. IMP. ARCID. D'AUSTRIA・1815 翻訳:オーストリアの皇后大公妃であるマリー・ルイーズ女公 1815年 裏面:王冠とドレープのついたパルマ公国の紋章 銘文:PER LA GR. DI DIO DUCH. DI PARMA PIAC E GUAST. 翻訳:神の恩恵を受けしパルマ・エ・ピアチェンツァ公国およびグアスタッラ公国 ■状態 MS61 ■コイン詳細 【発行年】1815年 【鋳造地】イタリア パルマ・エ・ピアチェンツァ公国 【NGC鑑定枚数】195枚 【額面】40リラ 【発行枚数】219,834枚 【素材】金(.900) 【重量】約12.9g 【直径】約26mm 【表面】マリー・ルイーズの左向きの肖像 【裏面】王冠とドレープのついたパルマ公国の紋章 【NGC鑑定】MS61 ■ポイント *希少性 NGC鑑定枚数195枚、1815年・1821年の2年み発行されています。 一般流通通貨として発行されたもののため、当コインの様に未使用で摩耗が少なく、鑑定済みのものは非常に希少です。 表面にマリー・ルイーズの肖像、裏面にパルマ公国の紋章が描かれているコインはこのコインの他に1リラ銀貨・5リラ銀貨・20リラ金貨があり、当コインの40リラ金貨が最高額面となります。 *状態 NGCにてMS 61の鑑定を受けています。NGCが鑑定した同コイン195枚中、MS 61のコインは15枚。当コインよりさらに美品のコインは18枚あります。 MSは、市場に流通しなかった完全未使用品という意味です。変色や、わずかにすれた跡は見られますが、摩耗は少なく、細かい紋章の模様や文字まではっきりと見えます。入手困難なほどの美品と言えるでしょう。 *市場性 幼少期より憎んでいたナポレオン1世と政略結婚したことで知られるマリー・ルイーズの肖像が描かれたコイン。ナポレオン1世との間に男児を出産し、のちにパルマ公国の統治者となったことから、非常に名の知れた人物です。 彼女がパルマ女公となってすぐに発行された当コインは、歴史を物語るひとつの財産として、コインコレクター、また、歴史に深く関心のある人たちにとって非常に注目度の高い逸品となっています。 政略結婚により、憎むべき相手であるナポレオン1世の元に嫁いだマリー・ルイーズ。 しかし、結婚後のナポレオン1世との関係は決して険悪だった訳ではないようです。 時代に翻弄された女性のひとりとして名高いマリー・ルイーズがパルマ公国の統治者となってすぐに発行された当コインは、そんな彼女の横顔が美しく描かれています。 歴史の証人とも言える当コインを、ぜひコレクションのひとつに加えてはいかがでしょうか。 ▼コインのストーリー ■概要 マリー・ルイーズの肖像が刻印んされたパルマ公国の40リラ金貨 ■マリー・ルイーズとは マリー・ルイーズは、オーストリア皇后マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ2世の間に長女として生まれました。オーストリアでの名前は、マリア・ルドヴィカ。 子供時代からナポレオン1世を憎むべき存在と教えられ、「ナポレオン」と名付けた人形をいじめて育ちました。しかし、ナポレオン1世が妻であるジョセフィーヌとの間に子供ができないことで、再婚相手の候補のひとりとなります。 もうひとりの候補は現ロシアのロマノフ家の皇女でしたが、ロシア正教徒からカトリックへの改宗が困難とされ、マリー・ルイーズが再婚相手となることに。幼いころから憎むべき対象として教えられた人物と政略結婚をしなければならないと知った際には、泣き崩れたと言われています。 しかし、ナポレオン1世の気遣いもあってか、(「ナポレオンは自分のことを恐れているのではないかと感じる」と結婚後マリー・ルイーズが語ったほど。)マリー・ルイーズはナポレオン1世に親しみを持つように。そして1811年に男児、ナポレオン2世を出産。ナポレオン2世は神聖ローマ皇帝の後継者にあたる「ローマ王」となります。 その後度重なる敗戦によりナポレオン帝国が苦境に追い込まれ、1814年にナポレオン1世は皇帝を退位。1814年から1815年にかけて行われた国際会議、ウィーン会議にてマリー・ルイーズはパルマ公国の統治を命じられました。当コインはその際に発行されたものです。 ■パルマ公国とは 現イタリアの北部に位置していた公国です。1545年から1860年の間存在しました。 イタリア貴族、ファルネーゼ家の教皇であるパウルス3世が息子である初代パルマ公、ピエール・ルイージに統治させたことが発端です。 ファルネーゼ家の家系が代々パルマ公として統治していましたが、ポーランド継承戦争にてハプスブルク家に譲られます。 その後、ナポレオン1世により侵略され、ウィーン会議にてマリー・ルイーズが亡くなる1847年まで女公として統治していました。




