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【PF64 CAMEO】1914年 ドイツ バイエルン王国 ルートヴィヒ 3 世 試鋳貨 5マーク銀貨

SOLD OUT
入手困難!
鑑定枚数わずか1枚!
抜群の状態を保持した試鋳貨コレクターも垂涎の逸品です。

市場に存在や流通がない希少な試鋳貨(Pattern)から
特に状態に優れた銀貨のご紹介となります。

このサイズ感とデザインの美しさは圧巻です。

■デザイン

表面:ルートヴィヒ 3 世
銘文:LUDWIG III KOENIG VON BAYERN D

裏面:王冠を戴いたドイツ帝国の紋章
銘文:DEUTSCHES REICH FÜNF MARK 1914

■状態

 PF64 CAMEO

■コイン詳細

【発行年】1914年
【発行国】ミュンヘン
【NGC鑑定枚数】1枚
【素材】銀
【重量】約27.777g
【直径】約38mm
【表面】ルートヴィヒ 3 世
【裏面】王冠を戴いたドイツ帝国の紋章
【NGC鑑定】 PF64 CAMEO

■ポイント

*希少性
NGC鑑定枚数わずか1枚。
通常発行されたコインとは違い、試鋳貨(Pattern)ですので発行枚数はわずか。
鑑定枚数からも極めて高い希少性が伺えます。

*状態
最高鑑定品!
PF(プルーフ)は鏡面仕上げで、表面が鏡のように光沢があります。その中でもコントラストの強いものがCAMEOと呼ばれます。
約100年以上も前でありながら素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
バイエルン王国(1806年 - 1918年)は、19世紀初頭、ナポレオンによりバイエルン選帝侯国から昇格して誕生した王国です。
ドイツが第一次世界大戦に敗れると、混乱の中で勃発したドイツ革命により、バイエルン王国はわずか112年間で滅亡しました。

本品に描かれているルートヴィヒ 3 世(在位:1913年 - 1918年)はその中のわずか5年間の在位であり、その期間に発行された貨幣は非常に限られています。その為、バイエルン王国の最後の君主という存在と在位期間の短さから、彼が描かれたコインはコレクターから非常に熱い注目を集めています。

さらに本品は市場には流通していない希少な試鋳貨になります。
希少性の高い試鋳貨は試鋳貨専門のコレクターもいるくらい国内外問わず熱い注目を集めています。

近年どんどんオークションで高値で売買される試鋳貨!
試作貨幣で発行されなかったからこその希少性がありコレクターがうなるものです。

”試作貨幣”
で唯一鑑定であり最高鑑定品。
しかも、その中でも「PF64CAMEO」と
試作貨幣の中でも特筆した評価のが良い状態です。

この条件は世界中のコレクターから大いに重宝され、
今後の価格推移も大いに期待できる逸品になります。

資産として、投資として、コレクションとして、
どれをとっても申し分のない 末長く所持していたい逸品です!

▼コインのストーリー

■概要

鑑定枚数わずか1枚!
抜群の状態を保持した試鋳貨コレクターも垂涎の逸品です。

■バイエルン王国について

バイエルン王国は、バイエルン公国を起源とし、19世紀初めから20世紀初頭のドイツ革命まで存在した南部ドイツの王国でした。ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって統治されました。

1805年にバイエルン選帝侯マクシミリアン4世は、フランス帝国との同盟によりプレスブルクの和約によってオーストリアからティロルを割譲されました。その後、ナポレオンによってバイエルンは王国に昇格し、マクシミリアン4世はバイエルン王マクシミリアン1世として即位しました。

バイエルンは1808年に短い憲法を制定し、その後1810年にはフランスとのパリ条約により領土を拡大しました。1813年には対仏大同盟に参加し、リート条約でオーストリアと和解しました。1815年にはプファルツの一部を回収してドイツ連邦に加盟し、領土は1816年のミュンヘン条約で確定しました。

1832年には国王ルートヴィヒ1世の次男オットーがギリシャの国王に即位し、摂政が中央集権を図りました。バイエルンは1866年の普墺戦争で敗北しましたが、講和によって南ドイツの主導的存在となりました。バイエルンは1885年にルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・バイエルンとその妻がバイエルンに定住するなど、繁栄を享受しました。

しかし、第一次世界大戦の敗北と続くドイツ革命により、1918年にはルートヴィヒ3世が退位し、バイエルン王国は消滅することとなりました。

■ルートヴィヒ 3 世について

バイエルン王国の歴史に名を刻んだルートヴィヒは、ミュンヘンでバイエルン王子ルイトポルトとトスカーナ大公女アウグスタの間に生まれました。彼は1868年2月20日にウィーンで、モデナ公家に属するマリア・テレジアと結婚しました。

1912年、父の死に伴い、ルートヴィヒは摂政としてバイエルン王国を率いることとなりました。この時期、当時の国王オットー1世が精神的な健康を損なっており、憲法の改正に基づいてルートヴィヒはオットーを廃位し、バイエルン国王に就任しました。

第一次世界大戦後の混乱の中で、ルートヴィヒは家族とともにミュンヘンを脱出し、1918年11月13日にはクルト・アイスナーが起草した退位宣言書に署名しました。その後、アイスナーが暗殺され、妻のマリア・テレジアが亡くなると、ルートヴィヒは混乱を避けるためにリヒテンシュタインに逃れ、その後ハンガリーの居城へ移りました。

1920年にバイエルンの居城に戻りましたが、翌1921年、ハンガリーの居城で亡くなりました。彼の葬儀は盛大に行われ、遺体はミュンヘンの一族の墓地にマリア・テレジアと共に埋葬されました。

■試鋳貨(試作貨幣)とは

試鋳貨幣(試作貨幣)とは、新しい貨幣を製造する前に、その貨幣のデザイン、サイズ、重さ、材質などを試すために鋳造される試作品のことを指します。試鋳貨幣は、通常、実際に流通させるわけではなく、テストや評価のために使用されます。そのため通常は数枚~数十枚程度しか鋳造されず、市場に出回ることは稀になります。

試鋳貨幣の特徴
①発行枚数が僅かしかないため圧倒的な希少性を誇る。
②発行枚数が僅かなため、市場に出回ることがなく高額な値がつきやすい。試鋳貨専門のコレクターも存在します。

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