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【MS61】1803年 神聖ローマ帝国 ドイツ ハノーファー選帝侯領 ゲオルグ3世 ピストル金貨

ASK
入手困難!
世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コインから
鑑定枚数わずか1枚という特筆すべき希少性を誇るレアコインのご紹介です。

・歴史的価値の高い近世の神聖ローマ帝国金貨
・抜群の状態を保持する唯一鑑定品

といった素晴らしい条件が揃っています。
ぜひ下記詳細をご覧ください。

■デザイン

表面:疾走する馬
銘文:GEORG III D G M BR F & H REX F D B & L DVX S R I A TH & EL

裏面:額面、日付
銘文:Ⅰ PISTOLE 1803

■状態

MS61

■コイン詳細

【発行年】1803年
【鋳造地】クラウスタール
【額面】1ピストル
【PCGS鑑定枚数】1枚
【素材】金
【重量】約6.65g
【直径】約23.5mm
【表面】疾走する馬
【裏面】額面、日付(Ⅰ PISTOLE 1803)
【PCGS鑑定】MS61

■ポイント

*希少性
PCGS唯一鑑定品!
近世の神聖ローマ帝国金貨は状態の良いものが少なく且つ、残存枚数も多くはありません、
鑑定枚数の少なさからも特筆すべき希少性が伺えます。

*状態
MS61評価(完全未使用品)!
この時代の金貨はマイナスとなるポイントがついているコインが多い中、本品にはマイナスポイントは一切ありません!
抜群の状態を保持しています。

*市場性
歴史的価値から高い人気を誇る神聖ローマ帝国コイン!
本品は神聖ローマ帝国のハノーファー選帝侯領で作成された大変希少なピストル金貨になります。

こちらのコインが発行された1803年、ハノーファー選帝侯領を統治していたのは「ゲオルグ3世」でした。彼は英国王としても名高いあの「ジョージ3世」と同一人物です。

この時代、神聖ローマ帝国は統一された国家ではなく、様々な領邦や自由都市などが存在し、君主制から共和制までさまざまな形態の統治が行われていました。芸術面でも豪華絢爛さと情熱的な表現で知られているバロック芸術の繁栄も見られたことから、この時代に作成された金貨は歴史的な芸術品としてコレクターの注目を集めています。

・歴史的価値の高い近世の神聖ローマ帝国金貨
・抜群の状態を保持する唯一鑑定品
という本品は世界中のコレクターから注目を集める逸品になります。

美しさと芸術性があふれたこの金貨は市場性と希少性を兼ね備えた今後の価格推移も大いに期待できるコインです。
在庫があるタイミングで是非コレクションに加えていただきたい逸品になります。

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン!
鑑定枚数わずか1枚という特筆すべき希少性を誇るレアコインです。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

■ハノーファー選帝侯領とは

ハノーファー選帝侯領は、1692年から1814年まで神聖ローマ帝国に存在した領邦国家です。現在のドイツ北部、ハノーファーを中心とした地域に位置し、ヴェルフ家の一族であるブラウンシュヴァイク=リューネブルク家によって統治されました。

1714年にハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがイギリス王ジョージ1世として即位すると、ハノーファー選帝侯領はイギリス王家と密接な関係を持つようになり、ヨーロッパの政治に大きな影響を与えました。

ハノーファー選帝侯領は、軍事力においても強国として知られていました。七年戦争では、イギリスと同盟を結んでフランスと戦い、勝利を収めました。

文化面では、ハノーファー大学が啓蒙主義の発展に大きく貢献しました。また、ハノーファー選帝侯領は、音楽や文学など様々な分野で優れた人材を輩出しました。

1803年にナポレオン戦争によって一時的に解体されたハノーファー選帝侯領は、1814年に復活し、さらに王国に昇格しました。しかし、1866年の普墺戦争でプロイセンに敗北し、ハノーファー王国は併合されてしまいました。

ハノーファー選帝侯領は、神聖ローマ帝国末期の政治、軍事、文化において重要な役割を果たした領邦国家であり、その影響は現代まで受け継がれています。

■ゲオルグ3世(ジョージ3世)とは

ジョージ3世は、ハノーヴァー家第3代のイギリス国王(在位:1760年10月25日 - 1820年1月29日)。
1760年10月25日から1800年12月31日まではグレートブリテン国王兼アイルランド国王であり、1801年1月1日に両国が合併してから崩御するまでは、グレートブリテン及びアイルランド連合王国国王。
また同時に、神聖ローマ帝国のハノーファー選帝侯でもあり、1814年10月12日以後はハノーファー王ゲオルク3世 (Georg III)。

ジョージ3世は、1760年から1820年まで60年間イギリス国王として君臨した人物です。彼の治世は、アメリカ独立戦争や産業革命など、イギリス史上最も激動の時代の一つと重なりました。

ジョージ3世は、ハノーヴァー朝第3代の国王であり、祖父ジョージ2世の跡を継いで王位に就きました。即位当初は国民から支持を得ていましたが、アメリカ独立戦争の敗北やフランス革命の影響で、政治的混乱や経済的苦境に直面します。

ジョージ3世は、王権強化を目指して政治に積極的に介入しました。しかし、議会との対立やアメリカ独立戦争の勃発などにより、王権は徐々に弱体化していきます。さらに、晩年には精神疾患を患い、王政は摂政によって代行されることになりました。

ジョージ3世は、政治的な功績よりも、文化や芸術の振興に貢献した人物として評価されています。彼は、科学や医学の発展を支援し、王立アカデミーなどの文化機関を設立しました。また、自身も音楽や絵画などの芸術に精通しており、多くの芸術家をパトロンとして保護しました。

ジョージ3世の治世は、イギリス史上最も激動の時代の一つであり、彼の生涯は、その時代を象徴するような光と影に満ちていました。

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