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【AU55】1684年 ポーランド 神聖同盟設立記念 大型銀メダル

ASK
入手困難!
世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国も参加している、
”神聖同盟”設立記念銀メダルです。

市場では見ることが無いレアコイン。
しかも通常のスラブよりかなり大型の特別スラブに収められた、
このサイズ感とデザインの美しさは圧巻です!

■デザイン

M.ブルナー作。

表面:3枚の葉の上に戴冠し鎧と外套を纏い、鎖と剣を持った、ポーランド国王ヨハネ3世、神聖ローマ皇帝レオポルト1世、ヴェネツィア総督マーク・アントニー・ユスティアヌスの鼎談立像、
銘文:CONFEDERATIO ET CONCORDIA(連合とコンコルディア(調和、協調))・DIE EINTRACHTS TREV, DIS HELDEN DREY, MIT SIEG ERFREV(統一軍、三勇士、勝利を喜ぶ)

裏面:鷲(ポーランドと神聖ローマ帝国)とサン・マルコの翼を持つライオン(ヴェネツィア共和国)が猟犬(オスマン帝国)に降りかかり、引き裂く肖像
銘文:DURCH DIESEN BUND、DER TüRKEN HUND、MUS GEHEN ZU GRUND(この契約により、トルコの犬は地上に行かなければなりません)

※寓意的で挑発的なこのメダルは、深みのある色調を呈し、表裏ともに彫刻の深さは特筆すべきものになります。

■状態

 AU55

■コイン詳細

【発行年】1684年
【鋳造地】ポーランド
【素材】銀
【重量】約73.16g
【直径】56mm
【表面】ポーランド国王・神聖ローマ皇帝・ヴェネツィア総督の立像
【裏面】羽の鷲と翼のあるライオンに襲われた犬
【NGC鑑定】 AU55

■ポイント

*希少性
この時代の銀貨は状態の良いものが少なく、
また市場ではほぼ見かけることがないことからも極めて高い希少性が伺えます。

*状態
300年以上前のコインでAU(準未使用)評価!
抜群の状態を保持しています。

*市場性
ポーランドコインは芸術性の高さとその希少性から世界中のコレクターからの人気が高く、市場性も抜群!

また本品は、世界的に多大な人気を誇り、専門のコレクターも存在する神聖ローマ帝国も参加している「神聖同盟」結成記念メダルでありながら、
その存在すらほとんど知られず、もし市場に出た場合多くの専門コレクターが手を上げ高値をつけることは必然でしょう。

*神聖同盟とは…
大トルコ戦争中の1684年、オスマン帝国に対抗するために、
ローマ教皇インノケンティウス11世主導の元、
神聖ローマ帝国、ポーランド・リトアニア共和国、ヴェネツィア共和国が結成した同盟。
1686年にはロシア・ツァーリ国も加わりました。
1699年のカルロヴィッツ条約で大トルコ戦争は終結し、
それに伴って同盟は解消されました。

特筆すべきはその存在感です。
よく言われる『大型』と言われるコインの倍以上もあるその大きさと重量は、
投資家、コレクターの所有欲を満たしてくれるはずです。

神聖ローマ帝国参加の”神聖同盟”×”超々大型銀貨”!
という組み合わせは世界中のコレクターからの耳目を集める逸品になります。

しかも唯一鑑定品ということは、
保有者がマーケットメイクできるという優位性は、
すべてのアンティークコイン投資家が手に入れたいはずです!

この優位性と抜群の希少性を手の届く価格設定でお届けします。

是非このチャンスを掴み取ってください□

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国も参加している、
”神聖同盟”設立記念銀メダルです。
鑑定枚数たった1枚の唯一鑑定品。突出した希少性を誇ります。

■ポーランドの時代背景

17世紀初頭のポーランドは、政治的な混乱と外部からの侵略に直面していました。ポーランド・リトアニア共和国は、多様な文化や宗教を抱え、特にユダヤ人、ウクライナ人、リトアニア人、そしてポーランド人が共存していました。しかし、国内の対立と外部の脅威により、国家の安定性が揺らいでいました。

特に、1655年から1660年にかけてのスウェーデンの侵略(スウェーデン大洪水と呼ばれる残忍で壊滅的なポーランド侵攻)は、ポーランドにとって深刻な打撃でした。スウェーデン軍がポーランドに侵入し、首都ワルシャワを占拠するなど、国土の大部分が荒廃しました。この時期、ウクライナ・コサックの蜂起も国内の不安定さを増幅させました。

一方で、この混乱の時期に文化的な発展も見られました。バロック様式の芸術や建築が栄え、ポーランド文学も著名な作家たちによって発展しました。また、ポーランドの王室であるヴァーサ家は、国内外で多くの芸術家や学者たちを支援し、文化的な交流が行われました。

この時代のポーランドは、複雑な政治状況と外部からの脅威に直面しながらも、文化的な繁栄を迎えた時代であり、その葛藤や発展が国の歴史に深い影響を与えています。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国は、中世から近世にかけて中欧地域に広がる政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの長い歴史を有していました。

この帝国は、ローマ帝国の後継国を自称し、神聖ローマ皇帝によって支配されました。神聖ローマ皇帝は、神聖ローマ教会の支持を受け、神の選択によって統治されたとされました。帝国の成立は、フランク王国の皇帝カール大帝の死後、東フランク王オットー1世がイタリアを征服し、962年に教皇ヨハネス12世によって皇帝に戴冠されたことに始まります。その後、神聖ローマ帝国は分権的な政治体制を確立し、諸侯が領土を支配し、皇帝は主に外交や司法を担当する役割を果たしました。

帝国はドイツを中心に中欧に広がり、領土は時折変動しました。領土は選帝侯、帝国直轄領、自由都市などに分かれ、地域ごとに異なる政治や社会制度が存在しました。

神聖ローマ帝国は中世ヨーロッパの政治・文化・宗教史に大きな影響を与え、帝国内の諸侯や都市国家は相互に競い合いつつ、文化や技術の発展を促進し、キリスト教文化の拠点として機能しました。宗教改革時には、皇帝やカトリック教会との対立が起き、帝国内で宗教分派の対立が深まりました。

18世紀に入ると、神聖ローマ帝国は国際政治での影響力を喪失し、プロイセン王国やオーストリア帝国などに取って代わられました。1806年には、ナポレオン・ボナパルトによって解体され、神聖ローマ皇帝フランツ2世は皇帝の地位を廃止し、帝国の歴史は幕を閉じました。

■神聖同盟について

神聖同盟は、大トルコ戦争中の1684年、オスマン帝国に対抗するためにローマ教皇インノケンティウス11世主導のもとに神聖ローマ帝国、ポーランド・リトアニア共和国、ヴェネツィア共和国が結成した同盟。1686年にはロシア・ツァーリ国も加わった。1699年のカルロヴィッツ条約で大トルコ戦争は終結し、それに伴って同盟は解消された。

 同盟結成にあたって、インノケンティウス11世はカプチン・フランシスコ修道会出身の助力を借り、ダヴィアーノはウィーンの守備で大きな役割を果たしました。

※1683年の第二次ウィーン包囲と翌年の神聖同盟結成は2012年に『1683年9月11日(英語版)』で映画化されています。

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