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【MS63】1454年~1474年 カスティーリャ王国(スペイン王国)エンリケ 4 世 カステリャーノ金貨

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入手困難!
鑑定枚数たった1枚の唯一鑑定品。
抜群の状態を維持した希少な中世スペイン金貨です。

近年注目度の高いスペインコインから、
特に希少性と状態に優れた金貨のご紹介になります。

■デザイン

表面:3 つの塔を持つ城
裏面:ライオンのモチーフ

■状態

MS63

■コイン詳細

【発行年】1454年~1474年
【発行国】セビリア
【額面】カステリャーノ
【PCGS鑑定枚数】1枚
【素材】金
【重量】約4.58 g
【表面】3 つの塔を持つ城
【裏面】ライオンのモチーフ
【PCGS鑑定】MS63

■ポイント

*希少性
PCGS鑑定枚数わずか1枚。
中世のスペイン金貨は状態の良いものが少なく、コレクション対象となる状態のコインは多くはありません。
鑑定枚数からも突出した希少性が伺えます。

*状態
PCGS最高鑑定。
約600年前のコインでMS(完全未使用品)評価!
さらにマイナスになるようなポイントは一切ありません!
抜群の状態を保持しています。

*市場性
繊細に描かれたデザインから根強い人気のスペインコイン!
本品はその中でもスペイン王国が形作られる前の、時代の節目に作成された歴史的価値も非常に高い金貨です。

またスラブにも記載される、
「サルトン コレクション(Salton Collection)」。
各鑑定会社では、サルトン夫妻やマードック等、著名なコレクターがかつて所有していたコインには、
そのコレクション名を特別にスラブケースのラベルに印刷しています。

その信頼性とクオリティからこれだけでプレミアがつく希少コインとなります。

・希少な中世スペインの最高鑑定品
・著名なコレクターが所有していた希少コイン
の組み合わせは世界中のコレクターも注目の逸品です!

近年、ヨーロッパ金貨の値上がりが激しい中で、
スペインコインはまだ比較的手が出し易い価格で購入が可能となっています。
とはいえ今後ますます注目をされていくコインとなりますので
この価格帯のうちにコレクションに加えることをお勧めいたします。

美しさと芸術性があふれたこのスペイン金貨は市場性と希少性を兼ね備えた今後の価格推移も大いに期待できるコインです。
是非お手元のコレクションに加えていただきたい逸品です。

▼コインのストーリー

■概要

鑑定枚数たった1枚の唯一鑑定品!
抜群の状態を維持した大変希少な中世スペイン金貨です。

■カスティーリャ王国とは

カスティーリャ王国は、10世紀半ばにイベリア半島中央部で誕生したキリスト教王国です。イスラム勢力との国境地帯に位置し、常に戦闘に備えていたことから、強固な軍事力と騎士道精神を育みました。

11世紀から始まるレコンキスタ(イスラム勢力からの国土奪還運動)において、カスティーリャ王国は主導的な役割を果たします。優れた軍事力と戦略、そして王権と貴族の協調によって領土を拡大し、13世紀には半島の大部分を支配するまでになりました。

レコンキスタの成功は、カスティーリャ王国に繁栄をもたらしました。羊毛貿易を中心とした経済発展、都市の拡大、そして活発な文化活動が王国を彩り、特に13世紀から15世紀にかけては、カスティーリャ語文学の黄金時代を迎えました。『ドン・キホーテ』で有名なミゲル・デ・セルバンテスをはじめ、多くの文学者が活躍しました。

1469年、カスティーリャ王国のイサベル1世とアラゴン王国のフェルナンド2世(カスティーリャ王としてはフェルナンド5世)が結婚し、両王国の統合が実現します。この統合は、後のスペイン王国の誕生へと繋がる重要な出来事となりました。

その後、スペイン王国は新大陸への進出やヨーロッパにおける覇権争いに乗り出し、世界帝国へと発展していきます。
カスティーリャ王国は、レコンキスタを推進し、スペイン王国の礎を築いた重要な存在です。強固な軍事力、繁栄した経済、そして豊かな文化は、現代スペインにも大きな影響を与え続けています。

■エンリケ4 世とは

エンリケ4世は、1454年にカスティーリャ王国の王位に就いた人物です。父はヨハネ2世、母はアラゴン王女マリア。幼少期から病弱で、成人後も健康に恵まれなかったため、「不能王」という不名誉なあだ名で呼ばれました。

エンリケ4世の統治時代は、国内の貴族勢力が台頭し、王権が弱体化する時期でした。王は優柔不断な性格で政治手腕に欠けていたため、貴族たちは王権を軽視し、権力拡大を目論んで反乱を起こしました。エンリケ4世は王権維持のために妥協を重ねましたが、反乱は鎮圧できず、王国の混乱は深まり、難しい采配をせまられました。

1474年、エンリケ4世は病死しています。死因は不明ですが、毒殺されたという説も有力です。彼の死後、王位継承争いはさらに激化し、カスティーリャ王国は内戦状態に陥りました。

エンリケ4世は、王権弱体化の責任者として歴史学者の間で批判的に評価されてきました。しかし近年では、貴族の台頭という時代背景や、王権維持のために苦悩した人物像に光を当てる研究も発表されています。

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