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【SP62+】1871年 ドイツ バイエルン王国 マクシミリアン公爵 芸術/科学賞 記念金メダル

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入手困難!
世界市場で抜群の人気を誇るドイツコイン!
優れた状態と際立った希少性を持つ大型金メダルです。

・鑑定枚数わずか1枚の希少性
・投資家、コレクターも注目の大型コイン

といった素晴らしい条件が揃っています。
ぜひ下記詳細をご覧ください。

■デザイン

表面:マキシミリアン公爵の肖像
銘文:C. Voigt

裏面:月桂冠の中に銘文
銘文:ZUM ANDENKEN VON MAXIMILIAN HERZOG IN BAYERN

■状態

SP62+

■コイン詳細

【発行年】1871年
【発行国】ドイツ
【PCGS鑑定枚数】1枚
【素材】金
【重量】48.22g(14 Ducats分)
【直径】42mm
【表面】マキシミリアン公爵の肖像
【裏面】月桂冠の中に銘文
【刻印師】C. Voigt
【PCGS鑑定】SP62+
【専門書】Wittelsbach 3089; Hauser 189 variant (under different weight); Memmesh. 2766 variety (noted in silver).

※このコインが1972年に初めてオークションに出品された際オークションタグが付属します。

■ポイント

*希少性
PCGS鑑定枚数わずか1枚!
SP(PF)グレードは本品のみ!
記念メダルゆえに発行枚数も少なく市場ではほぼ見かけることがない極めて希少性の高いコインです。

*状態
PCGS最高鑑定品
SP(PF:プルーフ)は鏡面仕上げで、表面が鏡のように光沢があります。
しかも「+」表記は状態に優れ、限りなく上位のグレードに近いことを意味します。
約150年前のコインでSP評価と抜群の状態を保持しています。

*市場性
バイエルン王国(1806年 - 1918年)は、19世紀初頭、ナポレオンによりバイエルン選帝侯国から昇格して誕生した王国です。
ドイツが第一次世界大戦に敗れると、混乱の中で勃発したドイツ革命により、バイエルン王国はわずか112年間で滅亡しました。

その為バイエルン王国で作成されたコインは限られており、歴史的背景や希少性も相まってコレクターの注目を集める人気コインとなっています。

さらに他のメダルとは一線を画す大型メダルです。
希少性の高さ・芸術性の価値はもちろん、大型メダルは近年の金価格の上昇と共に、コインの持つ重量=金地金そのものの価値も高まり世界中で高値で取引されています。

*圧巻の特殊スラブとメダルサイズ!
48.22グラム
直径42MM
と、サイズ、重量ともに圧巻。見ごたえがあり、たまらない1枚。

・最高の状態を保持するレアコイン
・コレクター&投資家に人気の大型メダル

の組み合わせは世界中のコレクターも注目の逸品です!

資産として、投資として、コレクションとして、
どれをとっても申し分のない 末長く所持していたい逸品です!

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇るドイツコイン!
優れた状態と際立った希少性を持つ大型金メダルです。

■バイエルン王国について

バイエルン王国は、バイエルン公国を起源とし、19世紀初めから20世紀初頭のドイツ革命まで存在した南部ドイツの王国でした。ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって統治されました。

1805年にバイエルン選帝侯マクシミリアン4世は、フランス帝国との同盟によりプレスブルクの和約によってオーストリアからティロルを割譲されました。その後、ナポレオンによってバイエルンは王国に昇格し、マクシミリアン4世はバイエルン王マクシミリアン1世として即位しました。

バイエルンは1808年に短い憲法を制定し、その後1810年にはフランスとのパリ条約により領土を拡大しました。1813年には対仏大同盟に参加し、リート条約でオーストリアと和解しました。1815年にはプファルツの一部を回収してドイツ連邦に加盟し、領土は1816年のミュンヘン条約で確定しました。

1832年には国王ルートヴィヒ1世の次男オットーがギリシャの国王に即位し、摂政が中央集権を図りました。バイエルンは1866年の普墺戦争で敗北しましたが、講和によって南ドイツの主導的存在となりました。バイエルンは1885年にルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・バイエルンとその妻がバイエルンに定住するなど、繁栄を享受しました。

しかし、第一次世界大戦の敗北と続くドイツ革命により、1918年にはルートヴィヒ3世が退位し、バイエルン王国は消滅することとなりました。

■マクシミリアン公爵について

マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルン(Herzog Maximilian Joseph in Bayern)は、1808年12月4日から1888年11月15日まで生きたバイエルン王国の貴族で、バイエルン公(Herzog in Bayern)の称号を冠していました。彼はオーストリア皇后エリーザベトの父として知られ、その家族関係はバイエルンとオーストリアの王室を結びつけています。

マクシミリアン・ヨーゼフは、バイエルン国王マクシミリアン1世の娘であるルドヴィカと結婚しました。この結婚により、彼はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の義理の父となりました。興味深いことに、フランツ・ヨーゼフ1世の母は、マクシミリアン・ヨーゼフの妻ルドヴィカの姉であるゾフィーでした。この家族関係により、バイエルン公はオーストリア皇室と緊密な結びつきを持ち、ヨーロッパの王室の中で重要な役割を果たしました。

彼の娘であるエリーザベトは、後にオーストリア皇后として知られ、"シシィ"として親しまれました。マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルンは家族や王室の結びつきだけでなく、貴族としての地位においても卓越した存在であり、その生涯を通じてバイエルンの歴史に深い影響を与えました。

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