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【MS62+】1697年 神聖ローマ帝国 ドイツ アウグスト2世 戴冠式記念 2ダカット金貨

ASK
希少かつ最美品!
NGC鑑定枚数たった8枚中、最も美品な希少コインのご紹介です。
「強王」と名高いアウグスト2世のポーランド王即位を記念した歴史的にも注目度の高いコイン!

■デザイン

表面:馬に乗ったアウグスト2世

裏面:王冠と、リボンの絡まった王笏と剣
銘文:REGET ET – DEFENDET
   D.G. / AUGUSTUS.II / CORON.IN.REG / POLON.&.MDL / D.15.SEPT / A.1697
翻訳:神(王)と守護者の意思により

■状態

MS62+

■コイン詳細

【発行年】1697年
【鋳造地】ドレスデン
【NGC鑑定枚数】8枚
【額面】2ダカット(記念硬貨)
【素材】金
【重量】約6.91g
【直径】約23mm
【表面】ローマの衣装をまとい馬に乗ったフリードリヒ・アウグスト1世
【裏面】王冠とリボンの絡まった王笏と剣・銘刻
【NGC鑑定】MS62+

■ポイント

*希少性
NGC鑑定枚数わずか8枚。
AU50:1枚
AU55:2枚
AU58:2枚
MS60:1枚
MS62:1枚
MS62+:1枚(本品)
フリードリヒ・アウグスト1世がポーランド王の戴冠式を1697年9月15日に行った際の記念硬貨。そのため、発行枚数は少なく、NGCにより鑑定を受けている枚数はわずか8枚しかありません。アンティークコインの中でも、販売されていたらすぐに購入することをおすすめする希少なコインです。

*状態
NGCにより、MS62+という鑑定を受けており、NGCで鑑定された中ではこれ以上の美品はありません。MSは、市場に流通しなかった完全未使用品という意味です。NGCにより鑑定を受けた8枚の中でも、こちらは最上位の状態をほこる完全未使用の美品コインです。

*市場性
「強王」と呼ばれたザクセン選帝侯にしてポーランド王、アウグスト2世。アウグスト2世のポーランド国王戴冠式に発行された記念コインです。
アウグスト2世はプロテスタントからカトリック教徒に改宗し、数多くの賄賂を贈るなどしてポーランド王の座を勝ち取ったとされています。政治面での手腕よりも、美術品や建築に非常に関心が高いことで知られており、ドイツのドレスデンの街を発展させた人物として名をはせています。

通貨として使用されていたコインではなく、アウグスト2世の戴冠式を記念して発行されたコインであり、アウグスト2世にゆかりの深いドレスデンで発行されていることから非常に注目度の高いコインと言えるでしょう。
また、こちらはNGC鑑定数8枚のうち最上位の当コイン。これだけの美品はなかなか入手できないものと言えます。

「強王」と称され、300人を超える子供がいたという逸話のあるアウグスト2世が、改宗してまで勝ち取ったポーランド国王の座。
こちらは、アウグスト2世が1697年にポーランド国王に即位した時の戴冠式を記念したコインです。

NGC鑑定枚数8枚という非常に希少なコインかつ、最上位の美品!
購入のチャンスを逃すとなかなか手に入らないコインのため、ぜひコレクションに加えてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

アウグスト2世のポーランド王戴冠式を記念しドレスデンで発行されたコイン

■アウグスト2世とは

アウグスト2世は、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世であり、ポーランド・リトアニア共和国の王アウグスト2世でもある人物。歴史的に2つの名を持っていますが、アウグスト2世と称されることが多く、怪力の持ち主であったことから「強王」や「ザクセンのヘラクレス」などといった異名をも持っています。

アウグスト2世はポーランドの国王選挙出馬への資格取得のためプロテスタントからカトリック教徒へと改宗し、非常に世間を驚かせました。また、ポーランドの国王の座を勝ち取るために多額の賄賂を贈ったとされ、「ポーランドの投機」と揶揄されていたと言われています。

芸術や文化、建築に造詣が深く、ドイツ・ザクセンの経済を著しく発展させた立役者としても知られています。ドレスデンを中心に多くのバロック様式の宮殿等を建てており、現在でもドレスデンは美しい街並みが楽しめる観光地として有名です。他にも、ヨーロッパ磁器の最高峰であるマイセン磁器の誕生に貢献したり、妻や愛人との間に300人以上もの子どもをもうけた噂があったりと、ドイツの歴史の中で非常に注目度の高い人物と言えるでしょう。

■ドレスデンとは

当コインが発行されたドレスデンは、ドイツのエルベ川の谷間にある都市で、ザクセン州の首都です。
ドイツ東部きっての観光都市としても知られ、エルベ川沿いに並ぶバロック建築が非常に美しく注目を集めています。詩人ゲーテには、その美しさにより「エルベのフィレンツェ」と称されました。

かつてはザクセン王国の首都であり、ドレスデンが最も栄えた全盛期にザクセン選帝侯として治めていたのがアウグスト2世(フリードリヒ・アウグスト1世)でした。彼がルネサンス様式だった街並みをバロック様式に変え、ドレスデンを美しい街並みへと様変わりさせたと言います。

残念ながら、第二次世界大戦の大空襲でそのバロック様式の街並みは失われてしまいましたが、戦後に長い期間をかけて再建されました。そのため現在でもアウグスト2世の造り上げたバロック様式の街並みが楽しめるのです。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

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