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【AU58】1868年 フランス第2帝政 ナポレオン3世 有冠 100フラン金貨

数量
1,000,000(税込)
王道のナポレオン金貨!
世界市場で絶大な人気を誇るフランスコインです。

鉄板の人気を誇るフランスコインの中でも、
特に希少性と市場性に優れた金貨のご紹介となります。

■デザイン

表面:月桂冠を冠したナポレオン3世の肖像
銘文:NAPOLEON III EMPEREUR BARRE
※ナポレオンの頭部に月桂樹が巻かれた人気の高い有冠タイプです。

裏面:ナポレオン皇帝の紋章
銘文:EMPIRE FRANÇAIS 100 FRs BB 1868
※BB:フランスのストラスブールで製造されたことを意味するミントマーク(刻印)

縁:DIEU PROTEGE LA FRANCE(訳:我がフランスは神に見守らています)

刻印師:パリ造幣局第18代総監師アルバート・デザイアー・バレ
コイン彫刻家といえば、イギリスのウィリアム・ワイオンが非常に有名ですが、
ワイオンに並ぶフランスのコイン彫刻家としてバレ親子は有名です。

フランスコインの中には「BARRE」の名が多く彫刻されていますが、
中でも一番有名なコインがこのナポレオン3世をモチーフにしたコインで、
世界中で絶大な人気を誇ります。

■状態

AU58

■コイン詳細

【発行年】1868年
【鋳造地】ストラスブール
【発行枚数】789枚
【額面】100フラン
【素材】金
【品位】900/1000
【重量】約32.25806g
【直径】約35mm
【表面】月桂冠を冠したナポレオン3世の肖像
【裏面】ナポレオン皇帝の紋章
【刻印師】アルバート・デザイアー・バリー(Albert Désiré Barre)
【NGC鑑定】AU58
【専門書】
1: F551/11
2: Fr580
3: Gad 1136
4: KM 802.2

■ポイント

*希少性
発行枚数789枚
NGC鑑定枚数56枚。
本品は1868年ストラスブールで鋳造されていますが、発行年(1862年~1870年)の中で発行枚数が一番少なく
入手がとても困難なコインで知られています。

鑑定枚数の少なさからも希少性を伺うことができます。

また、流通貨幣として使用されていたので状態が優れているものは多くはありません。
その為無冠、有冠を合わせた中でも状態の良いコインはとても希少となります。

*状態
NGC第6位鑑定
「MS、AU」グレードの大半のコインのエッジ(縁)には「凹み」が見られていますが、本品のエッジには一切の「凹み」はありません。
150年以上前に鋳造された金貨でありながら素晴らしい状態を保っております。

*市場性
フランスコインは芸術性の高さから世界中のコレクターから非常に人気が高く、市場性も抜群!
その中でもナポレオン金貨は、知名度の高さからコレクターの中でも絶大な人気を誇るコインです。

今冬、日本でも映画「ナポレオン」の上映が決まり、世界の各メディアでもナポレオンに関する多くの報道がなされている中、世界的なナポレオンブームが到来しようとしています。
ジョージ6世が映画化された際、そのコインが急騰したように、今後はナポレオンコインも一層の注目を集めることになるでしょう。

ナポレオン金貨は根強い人気は当然の事、今後の価格推移が大いに期待できる金貨です。
大変美しく、資産価値の高いこちらの金貨を、ぜひコレクションの一つとしてご検討ください。

▼コインのストーリー

■概要

第二帝政時代のフランスで発行された100フラン金貨!
世界市場で絶大な人気を誇るナポレオンコインです。

■フランスの歴史

本品の鋳造時におけるフランスは、1852年にナポレオン3世がクーデターを起こし、フランス第二帝政の皇帝として即位した時期です。ナポレオン3世の治世では、経済発展と都市改造を進める一方で、軍事力を背景に領土の拡張や植民地政策を進め、また、教育、交通、医療、文化に関しても改革を行い、現代化を進めていました。

第二帝政下では、フランス経済は急速に成長し、鉄道、港湾、道路、運河の建設が進み、都市計画による改革も進められました。また、フランスはアフリカや東南アジアなどで植民地を拡大し、帝国主義的な政策も推進しています。

一方で、第二帝政は政治的な不安定も伴いました。統治は強い皇帝の中央集権的な手法によって行われていたため、野党は弾圧され、自由主義者や社会主義者による反対運動も起きました。普仏戦争に敗北し、皇帝が捕虜となると、第二帝政は終焉を迎えることとなります。

第二帝政は、フランスにおいて近代化と帝国主義を推進した政権であり、経済的な発展をもたらしました。しかし、政治的な不安定さも同時に伴い、野党や労働者階級の反発を招き、最終的には敗北と崩壊を迎えることになりました。

■ナポレオン3世とは

ナポレオン3世(Napoléon III, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は、フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。

ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、フランス皇帝ナポレオン1世の甥であり、彼の名前と家族の名誉を受け継ぎました。彼は1808年にパリで生まれ、幼少期にフランスを離れ、亡命生活を送りました。彼は1836年にフランスに帰国し、その後政治的な野心を抱くようになりました。

1848年の2月革命(フランス革命1848年)において、ルイ=ナポレオンはフランス第二共和国の大統領に選ばれました。その後、彼は立憲派との連携を築き、大衆の支持を受けて、1851年にクーデターを起こし、共和国政府を打倒して第二帝政を宣言しました。彼は「ナポレオン3世」として戴冠し、フランス帝国の皇帝となりました。

ナポレオン3世はフランス帝国の統治下で多くの改革と近代化を推進し、都市の再建、鉄道網の拡充、経済発展などを成し遂げました。また、彼の政策はフランスの植民地帝国の拡大にも繋がり、ヨーロッパ全体で中心的な人物となりました。

しかし、普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)による敗北で捕虜となり、帝国が崩壊すると、ナポレオン3世は1870年に退位し、亡命生活に入りました。彼はイギリスで亡くなりましたが、フランスの歴史においては近代化を進めた改革者として称賛される一方で、権威主義的な統治と冒険主義的な外交政策を押し進めた君主として世界でも有名な君主の一人になっています。

■フランとは

「フラン」の名は、ラテン語の Johannes Dei Gratia Francorum Rex(神の恩寵によるフランクの王ジャン)が由来とされています。
その価値は当時の通貨であった「トゥールポンド」 (Livre tournois) と同一(1フラン=1トゥールポンド=20ソル)と定められました。
この最初のフランは「フランカ・シュヴァル」(Franc à cheval) と呼ばれています。

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