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【MS64】1726年 神聖ローマ帝国 ドイツ ババリア(バイエルン) マキシミリアン2世エマヌエル 銀メダル

SOLD OUT
入手困難!
世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン。
市場ではほぼ見ることが無いレアコイン。

世界のコレクターに大人気の神聖ローマ帝国コインから
抜群の状態を維持する希少な大型銀貨のご紹介となります。

このサイズ感とデザインの美しさは圧巻です!

■デザイン

表面:マキシミリアン 2 世エマヌエルの左向き肖像
銘文:MAX Ⅱ BOIOR DUX ELECTOR

裏面:11行の銘文

■状態

 MS64

■コイン詳細

【発行年】1726年
【鋳造地】バイエルン
【素材】銀
【重量】約29.1g
【直径】39mm
【表面】マキシミリアン 2 世エマヌエルの左向き肖像図
【裏面】11行の銘文
【NGC鑑定】 MS64

■ポイント

*希少性
この時代の銀貨は状態の良いものが少なく、
また市場ではほぼ見かけることがないことからも極めて高い希少性が伺えます。

*状態
300年以上前のコインでMS(完全使用品)評価!
抜群の状態を保持しています。

*市場性
ドイツコインは芸術性の高さから世界中のコレクターからも非常に人気が高く、市場性も抜群!

また本品に描かれているマキシミリアン2世エマヌエル(バイエルン選帝侯)は1683年の第二次ウィーン包囲で解放軍に加わり、オスマン帝国を迎撃することに貢献した名将の一人として有名です。
その名将が描かれたコインは、その知名度もあり世界中のコレクターから非常に高い人気を誇っています。

さらに他の銀メダルとは一線を画す大型メダルです。
大型銀メダルはコレクター、投資家からの人気も高く世界中で高値で取引がされています。

”人気のマキシミリアン2世”×”レアコイン”!
という組み合わせは世界中のコレクターから注目を集める逸品になります。

お求めやすい価格でありながら、その価値の成長に期待の膨らむレアコイン!
お手ごろな価格のうちにコレクションしていただき今後の値動きを楽しんではいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

世界のコレクターに人気の高い神聖ローマ帝国コイン!
人気の名将が描かれた特筆すべき希少性を誇る銀メダルです。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続いた帝国。

神聖ローマ帝国は、ローマ帝国の後継国家を自称し、神聖ローマ皇帝によって統治されています。神聖ローマ皇帝は、神聖ローマ教会(Catholic Church)の支持を受け、神の意思によって選ばれたとされていました。

神聖ローマ帝国の成立は、フランク王国の皇帝カール大帝の死後、東フランク王オットー1世がイタリアを征服し、教皇ヨハネス12世によって962年に皇帝に戴冠されたことに始まります。以降、神聖ローマ帝国は、諸侯が自らの領土を支配し、皇帝は主に外交や司法を担当するという、分権的な政治体制が確立されていました。

神聖ローマ帝国は、ドイツを中心とした中欧に広がり、領域は時期によって拡大や縮小を繰り返しました。帝国の領土は、選帝侯や帝国直轄領、自由都市などに分かれ、地域によって政治や社会の制度が異なっていました。

また神聖ローマ帝国は、中世ヨーロッパの政治・文化・宗教史にも大きな影響を与えています。帝国内の諸侯や都市国家は、相互に競い合いながら文化や技術の発展を促し、キリスト教文化の拠点としても機能しました。また、宗教改革の時期には、神聖ローマ皇帝やカトリック教会との対立が起こり、帝国内部でも宗教分派の対立が深まっていました。

18世紀に入ると、神聖ローマ帝国は国際政治において影響力を失い、プロイセン王国やオーストリア帝国などの国家に取って代わられることとなります。1806年には、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトによって解体され、1806年8月6日に神聖ローマ皇帝フランツ2世は、自らの皇帝の地位を廃止し、神聖ローマ帝国はその歴史に幕を閉じました。

■マキシミリアン2世エマヌエルとは

マキシミリアン2世エマヌエルは、バイエルン選帝侯であり、1679年から1726年まで統治を行いました。
1683年の第二次ウィーン包囲で解放軍に加わり、オスマンを迎撃することに貢献した名将の一人。
また、文化や科学の分野での貢献や、軍事力の強化に力を注いだ人物として後世に知られています。

マキシミリアン2世は、音楽や絵画、建築などの芸術分野に熱心であり、多くの芸術家や建築家を招聘して宮殿や教会などの建設に取り組みました。その結果、多くの美術品や文化財がバイエルンに集まり、バイエルンは文化の中心地として栄えることになりました。

また、医学や科学にも関心を持ち、バイエルンに多くの学校や研究所を設立。また、天文学や測量学にも興味を持ち、多くの天文学者や数学者を招聘し、彼らの研究を支援しました。

さらに、マキシミリアン2世は軍事力の強化にも力を注ぎました。彼はバイエルンの軍隊を近代化し、新しい武器や軍事技術の導入に取り組みました。彼はまた、オスマン帝国やフランスとの戦争にも参加し、バイエルンの領土拡大を図っています。

総じて、マキシミリアン2世は、バイエルンを文化、科学、軍事の面で発展させ、その地位を確立することに貢献しました。彼の統治期間は、バイエルンの黄金期とも呼ばれ、彼の功績は今でもバイエルンに残っています。

■バイエルン選帝侯領とは

バイエルン選帝侯領は、現在のドイツ南部に位置する、かつてバイエルン選帝侯が統治していた領土。選帝侯は神聖ローマ帝国内で最も権威ある7人の選帝侯の一人であり、帝国議会に参加する資格がありました。

バイエルン選帝侯領は、バイエルン公国を基盤として、16世紀初頭に選帝侯領として昇格しています。バイエルン選帝侯領は、多くの戦争や領土の争いを経て、領土を拡大していきました。

18世紀には、マクシミリアン2世エマヌエルの統治下で、文化や科学の面で発展し、バイエルンはヨーロッパでも有数の文化中心地となりました。また、彼の治世には、軍事力も強化され、領土の拡大にも成功しています。

19世紀に入ると、ナポレオン戦争によって、バイエルンはフランス帝国に併合されるなどの苦難を経験しましたが、1815年のウィーン会議によって、バイエルンは再び独立した王国として復活しました。

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