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【MS62】1855年 フランス ナポレオン3世 パリ万国博覧会 記念金メダル

ASK
世界市場で絶大な人気を誇るフランスコイン!
コレクターを魅了してやまないナポレオンが描かれた希少な記念メダルです。

・コレクター&投資家も注目の超大型金メダル(159g)
・天才彫刻家ワイオンに並び称されるフランス彫刻家バレ(Barre)のデザイン

といった素晴らしい条件が揃っています。

■デザイン

表面:ナポレオン3世の肖像
銘文:NAPOLEON III EMPEREUR

裏面:万博に参加した20カ国の紋章に囲まれたフランス帝国の紋章
銘文:EXPOSITION UNIVERSELLE AGRICULTURE INDUSTRIE BEAUX ARTS PARIS 1855

刻印師:パリ造幣局第17代総監師ジャック=ジャン・バレ
コイン彫刻家といえば、イギリスのウィリアム・ワイオンが非常に有名ですが、
ワイオンに並ぶフランスのコイン彫刻家としてバレ親子は有名です。

■状態

MS62

■コイン詳細

【発行年】1855年
【鋳造地】フランス
【素材】金
【重量】約159.5g
【直径】約60mm
【表面】ナポレオン3世の肖像
【裏面】万博に参加した20カ国の紋章に囲まれたフランス帝国の紋章
【刻印師】パリ造幣局第17代総監師ジャック=ジャン・バレ
【NGC鑑定】MS62

■ポイント

*希少性
発行枚数わずか112枚!
この記念メダルは受賞者に贈られたものですので、通常メダルには受賞者の名前が刻印されています。
しかし本品は受賞者には贈られず、名前の刻印もされずに時代を渡ってきた無刻印のメダルになります。
受賞した人・団体等の名前が刻印されていない無刻印のメダルは希少性が著しく高くなります。

*状態
【NGC鑑定】MS62
150年以上前に鋳造された金貨でありながらMS(完全未使用品)評価と素晴らしい状態を保っております。

*市場性
フランスコインは芸術性の高さから世界中のコレクターから非常に人気が高く、市場性も抜群!
その中でもナポレオン金貨は、知名度の高さからコレクターの中でも絶大な人気を誇るコインです。

今冬、日本でも映画「ナポレオン」の上映が決まり、世界の各メディアでもナポレオンに関する多くの報道がなされている中、世界的なナポレオンブームが到来しようとしています。
ジョージ6世が映画化された際、そのコインが急騰したように、今後はナポレオンコインも一層の注目を集めることになるでしょう。

また、希少性の高さ・芸術性の価値はもちろんですが、大型金貨は、近年の金価格の上昇と共に、コインの持つ重量=金地金そのものの価値も高まり世界中で高値で取引されています。

*圧巻の特殊スラブとメダルサイズ!
159.5グラム
直径60mm
と、サイズ、重量ともに圧巻。
見ごたえがあり、たまらない1枚!

『タイミング』『ご予算』
ともに選ばれた人にしか手に取れないコレクションです。
ぜひこのチャンスを逃さないでください!

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で絶大な人気を誇るフランスコイン!
コレクターを魅了してやまないナポレオンが描かれた希少な大型記念メダルです。

■フランスの歴史

本品の鋳造時におけるフランスは、1852年にナポレオン3世がクーデターを起こし、フランス第二帝政の皇帝として即位した時期です。ナポレオン3世の治世では、経済発展と都市改造を進める一方で、軍事力を背景に領土の拡張や植民地政策を進め、また、教育、交通、医療、文化に関しても改革を行い、現代化を進めていました。

第二帝政下では、フランス経済は急速に成長し、鉄道、港湾、道路、運河の建設が進み、都市計画による改革も進められました。また、フランスはアフリカや東南アジアなどで植民地を拡大し、帝国主義的な政策も推進しています。

一方で、第二帝政は政治的な不安定も伴いました。統治は強い皇帝の中央集権的な手法によって行われていたため、野党は弾圧され、自由主義者や社会主義者による反対運動も起きました。普仏戦争に敗北し、皇帝が捕虜となると、第二帝政は終焉を迎えることとなります。

第二帝政は、フランスにおいて近代化と帝国主義を推進した政権であり、経済的な発展をもたらしました。しかし、政治的な不安定さも同時に伴い、野党や労働者階級の反発を招き、最終的には敗北と崩壊を迎えることになりました。

■ナポレオン3世とは

ナポレオン3世(Napoléon III, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は、フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。

ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、フランス皇帝ナポレオン1世の甥であり、彼の名前と家族の名誉を受け継ぎました。彼は1808年にパリで生まれ、幼少期にフランスを離れ、亡命生活を送りました。彼は1836年にフランスに帰国し、政治的な野心を抱くようになりました。

1848年の2月革命(フランス革命1848年)において、ルイ=ナポレオンはフランス第二共和国の大統領に選ばれました。その後、彼は立憲派との連携を築き、大衆の支持を受けて、1851年にクーデターを起こし、共和国政府を打倒して第二帝政を宣言しました。彼は「ナポレオン3世」として戴冠し、フランス帝国の皇帝となりました。

ナポレオン3世はフランス帝国の統治下で多くの改革と近代化を推進し、都市の再建、鉄道網の拡充、経済発展などを成し遂げました。また、彼の政策はフランスの植民地帝国の拡大にも繋がり、ヨーロッパ全体で中心的な人物となりました。

しかし、普仏戦争(フランス普仏戦争)による敗北で捕虜となり、帝国が崩壊すると、ナポレオン3世は1870年に退位し、亡命生活に入りました。彼はイギリスで亡くなりましたが、フランスの歴史においては近代化を進めた改革者として称賛される一方で、権威主義的な統治と冒険主義的な外交政策を押し進めた君主として世界的でも有名な君主の一人になっています。

■パリ万国博覧会とは

1855年のパリ万国博覧会は、ナポレオン3世の統治下で開催され、フランスにとって初めての国際博覧会として注目を浴びました。会期は1855年5月15日から11月15日までで、シャンゼリゼ通りに面した広大な会場で行われました。正式名称は「Exposition Universelle des produits de l'Agriculture, de l'Industrie et des Beaux-Arts de Paris 1855」で、多くの国が参加し、総計516万2330人の来場者を記録しました。

この博覧会は、1851年のロンドン万国博覧会をしのぎ、さらにはロンドンの水晶宮を凌駕するために産業宮(Palais de l'Industrie)が建設されました。第1回パリ万博の産業・芸術展示品は、前回のロンドンでの展示品に勝るとされ、その革新性が一大イベントとされました。

会期中、約420万人が産業品展示会場を訪れ、約90万人が芸術展示会場を訪れたと公式に報告されています。開催には約500万ドルの費用がかかりましたが、その収益はわずか1割ほどであり、博覧会の成功を示す一方で、大規模な経済的負担も伴ったことが窺えます。会場の広さは16ヘクタールで、多様な国々が参加し、博覧会は国際的な交流と競争の場として輝かしい一章を刻みました。

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