【SP65 BN】1839年 フランス フィリップ1世 試鋳貨 1デシーム銅貨
秘蔵の逸品!
希少度R1(Rare)にして、最高評価!
英仏の技術が融合した、歴史の転換点を象徴する極めて貴重な試鋳貨(試作貨幣)です。
世界中のコレクターを魅了してやまないフランス近代コインの系譜から、
他では間違いなく入手困難な、ストーリー性に溢れた希少貨のご紹介になります。
■デザイン
表面:ルイ=フィリップ1世の肖像
銘文:LOUIS PHILIPPE I ROI DES FRAN??AIS(訳:ルイ・フィリップ1世 フランス人の王)。
肖像の下部には、当時のフランス造幣局を支えた二大巨匠「TIOLIER ET BARRE(ティオリエ&バレ)」の連名刻印があります。
裏面:月桂冠内に「LONDRES 1839(訳:ロンドン)」
銘文:上部:ESSAI DE MONNOYAGE(訳:試作貨幣)、下部:英国王室の紋章にも通ずる「横たわるヒョウ」の意匠
特筆すべきは「LONDRES」の刻印。
19世紀前半、蒸気圧式コイニング技術で先行していた英国との技術交流を象徴する“ロンドン・タイプ”として知られています。ヒョウはイングランド王権を象徴する意匠とも解され、英仏造幣技術の接点を示唆する極めて興味深いデザインです。
刻印師:ニコラ=ピエール・ティオリエ & ジャック=ジャン・バレ
本貨の表面、肖像の下部に刻まれた「TIOLIER ET BARRE」の銘。これは、19世紀フランスの造幣局を支えた二人の天才彫刻師、ニコラ=ピエール・ティオリエと、その後任となるバレの名を冠した極めて珍しい連名刻印です。
バレの手による繊細かつ気品あふれるデザインは、160年以上の時を超えてなお世界中のコレクターを魅了し続けていますが、本作のように「ティオリエ&バレ」の連名が刻まれた貨幣は滅多に市場に姿を現しません。
二人の巨匠がひとつの作品に名を連ねることは、貨幣史において極めて稀な例外であり、本貨が単なる試作品を超えた「時代の橋渡し」を象徴する、資料的価値の高い芸術品であることを物語っています。
■状態
SP65BN
銅貨の色調の表記には、次の3種類があります
・RD(Red):赤い光沢が95%以上残っているもの
・RB(Red-Brown):赤い光沢が5〜95%程度残っているもの
・BN(Brown):赤い光沢が5%以下でほぼ完全な茶色であるもの
銅貨は経年による酸化作用によって表情豊かに変化し、独自の風合いや深みのある色合いを纏っていきます。その色調の違いは一枚ごとに個性を生み出し、コレクターの美意識を魅了すると同時に、投資対象としての価値を高める要素ともなっています。
■コイン詳細
【発行年】1839年
【鋳造地】パリ造幣局
【PCGS鑑定枚数】5枚
【素材】銅
【重量】約15.9g
【直径】約31mm
【表面】ルイ=フィリップ1世の肖像
【裏面】月桂冠内に「LONDRES 1839(訳:ロンドン)」
【刻印師】ニコラ=ピエール・ティオリエ & ジャック=ジャン・バレ
【PCGS鑑定】SP65BN
■ポイント
*希少性
”PCGS鑑定枚数5枚”
”NGC鑑定枚数7枚”
本貨は、日常の流通を目的として作られた貨幣ではありません。次世代の鋳造技術の検証や、植民地向け通貨の計画、あるいはイギリスの最新鋭な蒸気機関技術を取り入れるための試験目的で製造された「試鋳貨(Essai)」という極めて特別な存在です。
代表的な専門カタログにおいても、本タイプは希少度「R1(Rare)」に分類されますが、このコインの価値を真に決定づけているのは、世界的な二大鑑定機関による客観的なデータです。 現在、鑑定登録されているものはNGC・PCGSを合わせても世界にわずか12枚しか存在しません。本貨はその貴重な12枚のうちの1枚であり、なおかつ「唯一の最高評価」の地位を獲得しています。これを超える評価は1枚も確認されておらず、事実上、本貨を凌駕するものは存在しないという「究極の証明」がなされているのです。
もともとの製造数が数枚から数十枚規模とされる試鋳貨において、この鑑定枚数の少なさは驚異的と言うほかありません。いかに現存数が限られ、歴史的な価値が極まっているか。その事実を、この数字が何よりも雄弁に物語っています。
【試鋳貨幣(試作貨幣)】
新しい貨幣を製造する前に、その貨幣のデザイン、サイズ、重さ、材質などを試すために鋳造される試作品のことを指します。試鋳貨幣は、通常、実際に流通させるわけではなく、テストや評価のために使用されます。そのため通常は数枚~数十枚程度しか鋳造されず、市場に出回ることは極めて稀になります。
*状態
”PCGS最高鑑定”
SP65:1枚(本品)
SP64:1枚
SP63:2枚
SP55:1枚
”NGC最高鑑定”
MS64:3枚
MS63:2枚
MS62:1枚
MS61:1枚
本品は、2大鑑定機関(NGC、PCGS)において唯一の最高鑑定となるSP65を獲得した、現存数極少のトップグレード品です。
鋳造から200年以上を経た現在においても、当時の威厳と輝きをほとんど失うことなく保っており、保存状態の卓越性は一目で伝わります。
レリーフの立ち上がりは極めてシャープで、人物像の輪郭や細部の表現には一切の甘さがありません。表面にはSpecimen特有の上質な光沢が残され、フランス造幣局が誇った高度な彫刻技術と打刻精度が、余すところなく凝縮されています。
一般に流通しなかったからこそ守られた、歴史のタイムカプセルとも言える極上の保存状態です。
SP:「スペシメン(Specimen)」の略で、通常流通貨とは一線を画す特別な仕上げで製造されたコインに与えられるグレードです。通常の鋳造よりも丁寧に打刻され、鏡面仕上げや精緻なレリーフが施されることで、芸術品としての美しさが際立ちます。厚みや重量感があり、手にした際の存在感も抜群です。SPグレードのコインは、流通を前提とせず、造幣局の技術見本や記念貨として限定的に鋳造されるため、希少性が非常に高く、コレクターの間では美術品としても資産としても価値の高い逸品として評価されています。
*市場性
この1839年「ルイ=フィリップ1世 試作1デシーム銅貨」は、単なる貨幣の枠を超え、近代フランスが国家の威信をかけ新技術を模索した軌跡を物語る、“手のひらサイズの歴史的遺産”です。
発行年の1839年は、フランス近代史における「七月王政」が円熟期を迎え、産業革命による近代化が進んでいた時代。本貨に刻まれた「LONDRES(ロンドン)」の文字と、英国を象徴する「ヒョウ」の意匠は、当時世界最高の鋳造技術を誇ったイギリスとの深い技術交流を裏付けるものであり、まさに19世紀欧州の国家間連携が生んだ結晶と言えます。
また、表面に並び立つ「TIOLIER ET BARRE(ティオリエ&バレ)」の名は、フランス貨幣史を彩る二大巨匠の共演を意味します。師ティオリエから、後に天才の名をほしいままにするバレへと技術が継承される“世代交代の瞬間”が、この一枚に封じ込められています。試鋳貨(エッセイ)ゆえの鋭くエッジの効いた打刻は、一般流通貨では決して到達し得ない、当時の国家構想が反映された精密な仕上がりを見せています。
そして、本貨の価値を決定づけているのが、2大鑑定機関において「唯一の最高評価」を獲得しているという事実です。2026年にそれまでの記録を塗り替え、トップポップに君臨した本貨を凌駕するものは、世界に一枚として存在しません。
世界最高鑑定という揺るぎないステータスを誇りながら、これほど手に取りやすい価格帯で希少な試鋳貨を手にできる機会は、そう多くありません。「エッセイ」かつ「最高グレード」という二つの特権を兼ね備えた本品は、資産性とコレクションを両立させた、まさに知る人ぞ知る良質なコレクションピースと言えるでしょう。
お求めやすい価格でありながら、将来的な価値の成長を予感させる稀少な一枚。
この特別な最高鑑定品を、ぜひ貴方のコレクションにお迎えください。
▼コインのストーリー
■概要
秘蔵の逸品!
希少度R1(Rare)にして、最高評価!
英仏の技術が融合した、歴史の転換点を象徴する極めて貴重な試鋳貨(試作貨幣)です。
■フランスの時代背景
1830年代後半から1840年にかけてのフランスは、激動の革命期を経て訪れた「七月王政」の成熟と、その裏側に潜む社会的な歪みが鮮明に浮き彫りとなった時代です。「市民王」として即位したルイ・フィリップのもと、フランスは表面的には安定を享受し、イギリスに倣った産業革命の波が押し寄せていました。蒸気機関の導入が進み、鉄道網の敷設が始まったことで、パリを中心に経済は活気づき、銀行家や大工場主といったブルジョワジー(有産階級)が国家の主役として台頭しました。しかし、この経済発展は同時に、都市部における深刻な貧困と格差を生み出すこととなります。
農村を離れ、工場労働者となった人々は、劣悪な労働環境と低賃金に喘いでいました。1839年には秘密結社「四季の会」による蜂起がパリで発生するなど、共和主義者や社会主義的思想を持つ人々による体制への不満が、地下水脈のように刻々と蓄積されていました。文化面においては、ロマン主義が黄金期を迎え、現実の閉塞感を打破しようとする情熱的な芸術運動が花開く一方で、バルザックが描いたような金銭欲と野心に彩られたリアリズムな社会像も定着し始めます。
さらに、外交面ではナポレオン時代の栄光を取り戻そうとするナショナリズムが再燃し、1840年のナポレオンの遺骨帰還は国民の愛国心を激しく揺さぶりました。秩序を重んじるブルジョワジーの支配と、変革を求める民衆のエネルギー。この相反する二つの力が、やがて1848年の二月革命へと向かう巨大なうねりを作り出していた、まさに嵐の前の静けさと緊張感が混在する過渡期であったと言えるでしょう。
■七月王政とは
1830年の七月革命によって誕生した「七月王政」は、ブルボン朝の絶対王政を打破し、立憲君主制へと舵を切ったフランス近代史の重要な転換点です。ルイ・フィリップが「フランス国王」ではなく「フランス国民の王」として即位した事実は、主権が王権神授説から国民(とりわけ有産階級)へと移ったことを象徴していました。この体制下で、フランスはイギリスに続く産業革命の本格的な進展期を迎え、鉄道の敷設や金融業の発展により、銀行家や大資本家といったブルジョワジーが社会の主導権を握るようになります。
しかし、この平穏と繁栄は一部の層に限定されたものでした。選挙権は高額納税者にのみ与えられ、全人口のわずか数パーセントしか政治に参加できない「制限選挙」が維持されたため、新興の産業資本家や労働者の不満は日増しに高まっていきました。当時の宰相ギゾーが放った「富め、さらば選挙権を与えん」という言葉は、持たざる者への冷淡な突き放しとして民衆の怒りを買い、社会には深刻な階級対立が蓄積されていきました。
1840年代に入ると、相次ぐ凶作と経済不況が追い打ちをかけ、民衆の生活は困窮を極めます。政治改革を求める声は「改革宴会」と呼ばれる集会を通じて全国に広がり、ついに1848年、その禁止をきっかけに二月革命が勃発しました。七月王政は、封建的な旧体制と民主的な新時代の狭間で、安定を求めて中道を歩もうとしましたが、急速に変化する社会の要求に応えきれず、わずか18年でその幕を閉じることとなったのです。
■フィリップ1世について
「市民王」の名で親しまれたルイ・フィリップ1世は、激動の近代フランスにおいて、君主制と共和主義という相反する理想の調和を図ろうとした稀有な政治家です。オルレアン家出身の彼は、1830年の七月革命によって亡命を余儀なくされたシャルル10世に代わり、国民の期待を背負って即位しました。彼は従来の「フランス国王」という称号を捨て、国民との契約に基づく「フランス国民の王」と名乗ることで、権威主義的な絶対王政とは一線を画す、自由主義的な立憲君主制を体現しようと努めました。
その統治スタイルは、派手な宮廷生活を避け、山高帽に傘を携えてパリの街を散策する姿に象徴されるように、極めて質実剛健でブルジョワ的でした。彼は産業革命を強力に推進し、経済の近代化を図ることで、台頭する中産階級の支持を固めました。しかし、その政治姿勢は「中道(ジュ・ミリュー)」を標榜するあまり、保守化を招く結果となります。選挙権を富裕層に限定し、ギゾーら保守的な政治家に政権を委ね続けたことは、政治への参加を渇望する労働者や共和主義者たちの不満を深刻化させました。
晩年には、相次ぐ暗殺未遂や経済不況、そして改革を拒絶する強硬な姿勢が国民の心を離れさせました。1848年、ついに爆発した二月革命のうねりを止めることはできず、彼は自ら退位を決断し、イギリスへ亡命しました。ルイ・フィリップの治世は、フランスが近代国家へと脱皮するための重要な準備期間であったと同時に、民衆の熱狂的なエネルギーと、変化を拒む体制側の乖離が限界に達した時代でもありました。彼の失脚は、フランスにおける君主制の事実上の終焉と、第二共和政への幕開けを告げる象徴的な出来事となったのです。





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