アンティークコインの通販ならRareCoinShop

アンティークコインの通販ならRareCoinShop

×

【XF DETAILS CLEANED】1814年BB フランス ストラスブール ルイ18世 5フラン銀貨

SOLD OUT

ナポレオン没落とブルボン朝復活の証。

発行枚数わずか4,900枚の希少5フラン銀貨です。

 

世界市場で抜群の人気を誇るフランス大型銀貨から、

コインコレクターはもちろん、歴史愛好家からも注目を集めるレアコインのご紹介になります。

 

■デザイン

 

表面:新国王ルイ18世の左向き肖像

銘文:LOUIS XVIII ROI DE FRANCE(訳:フランス国王ルイ18世)

 

裏面:王冠を戴いたフランス王家の盾章

銘文:PIECE DE 5 FRANCS. 1814 BB

※BB:ストラスブールミントを意味しています

 

エッジ(縁):DOMINE SALVUM FAC REGEM(訳:主よ、国王をお救いください)

 

本貨は、ナポレオンが退位し、亡命先から帰還したルイ18世が即位した1814年という「激動の年」に鋳造されました。特筆すべきはエッジの銘文です。ナポレオン時代の「神よ、フランスをお守りください」から、王政復古を象徴する「主よ、国王をお救いください」へと変更されており、貨幣の細部にまで政体の劇的な変化が刻まれています。まさに、一つの時代の終わりと始まりを物理的に封じ込めた歴史的遺物といえます。

 

■状態

 

XF DETAILS

 

■コイン詳細

 

【発行年】1814年

【鋳造地】ストラスブール(ミントマークBB)

【額面】 5フラン

【発行枚数】4,901枚

【素材】銀

【直径】約37mm

【重量】約25g

【表面】新国王ルイ18世の左向き肖像

【裏面】王冠を戴いたフランス王家の盾章

【NGC鑑定】XF DETAILS

 

■ポイント

 

*希少性

1814年銘の5フラン銀貨において、パリ造幣局(A)では約146万枚もの大量鋳造が行われましたが、対するストラスブール造幣局(BB)の本品は、わずか4,901枚という驚異的な少なさにとどまります。この極端な発行数の差は、当時ストラスブールが対仏同盟軍に包囲され、造幣局の稼働が物理的に制限されていたという歴史的事実に起因します。戦乱の渦中でひっそりと打たれたその稀少性は、フランス近代銀貨の中でも屈指の存在です。

 

さらに本品は、ルイ18世の第一次在位期間にのみ採用された「ティオリエ版」の最初期仕様でもあります。後のデザイン変更によって、胸元に勲章を帯びた「服を着た肖像」や「PIECE DE 5 FRANCS」という重厚な額面表記は姿を消してしまいます。歴史の転換期のわずかな期間しか発行されなかった限定的な意匠、そして極限まで絞られた発行枚数。この二つの要素が重なる本品は、過去の主要オークションにおいても取引実績はわずか数例を数えるのみという、市場で目にする機会すら限られた極めて貴重なコレクションといえます。

 

*状態

銀製のコインやメダルは経年劣化による摩耗が避けられないものですが、本品はその影響を最小限に抑えて、当時の姿を残しています。打刻の鮮明さ、細部の美しさ、そして時を超えて放たれる輝きは、まさに歴史的価値を持つ芸術品といえます。

 

大型銀貨ならではの重厚な質感はそのままに、銀本来の輝きが肖像の細部までを際立たせています。当時の一般労働者の数日分もの価値があったこの高額銀貨が、激動のフランス史を潜り抜け、今なお気品高い姿を保っている事実は、この一枚に宿る歴史の重みを物語っています。手にした瞬間に王政復古の熱量が伝わってくるかのような、圧倒的な存在感を放っています。

 

*市場性

19世紀フランス貨幣史において、ナポレオン帝政の終焉からブルボン朝の復活へと大きく舵を切った「決定的な転換点」を体現する一枚、それが本品「ルイ18世 5フラン銀貨」です。本貨は、1814年のナポレオン退位に伴い、長きにわたる亡命生活を経て帰還したルイ18世が、フランス国王として最初に世に送り出した最初期シリーズにあたります。

 

このコインの発行は、単なる通貨の更新にとどまるものではありませんでした。長年ヨーロッパを席巻したナポレオンの影を払い、王権の威信をかけてブルボン朝の正統性を示すため、貨幣の細部に至るまで徹底した再定義が行われました。エッジに刻まれた「主よ、国王をお救いください」という祈祷文句は、まさに国家の魂が帝政から王政へと回帰した象徴であり、貨幣を政治的権威の象徴へと昇華させた歴史的な起点といえるでしょう。

 

本品がとりわけ市場で注目される理由のひとつが、製造技術と発行された当時の特殊な状況にあります。鋳造地であるストラスブール造幣局は、1814年初頭から対仏同盟軍による激しい包囲戦の最中にありました。戦火と混乱の中で造幣業務が極限まで制限される中、わずか4,901枚のみが打たれたという事実は、本貨に「戦火を潜り抜けた稀少銘柄」という唯一無二の付加価値を与えています。

 

デザイン面でもその価値は際立っています。彫刻長ティオリエ父子による肖像は、王政復古の理想を形にしたものであり、胸元に輝く聖霊勲章の精緻な描写は、芸術性と政治思想が高次元で融合した「見せるための権威」を体現しています。

 

さらに市場評価を決定づける要素として、本品の歴史的価値に裏打ちされた希少性が挙げられます。銀製のコインやメダルは経年劣化による摩耗が避けられないものですが、本品はその影響を最小限に抑え、当時の姿を残しています。打刻の鮮明さ、細部の美しさ、そして時を超えて放たれる輝きは、まさに歴史的価値を持つ芸術品といえます。

 

現存数が極めて限られる「1814年BB」において、これほどの存在感を確保している点は、国際市場における安定した評価と将来的な高い流動性を裏付ける、極めて重要な要素といえるでしょう。歴史的意義、圧倒的な希少性、そして比類なき造形美。そのすべてを兼ね備えた本貨は、世界中のコレクターが渇望する、完成度の極めて高いアンティーク銀貨です。

 

その希少性ゆえに市場へ現れてもすぐに姿を消してしまう「BB」ミントの5フラン銀貨。

資産として、投資として、コレクションとして、ぜひお手元に迎えていただきたい、格別の逸品です。

 

▼コインのストーリー

 

■概要

 

ナポレオン没落とブルボン朝復活の証。

発行枚数わずか4,900枚の希少5フラン銀貨!

 

■ルイ18世について

 

ブルボン朝復古王政の幕開けを担ったルイ18世は、激動のフランス革命期を生き抜き、混迷する国家に「妥協と安定」をもたらそうとした政治家としての側面を強く持っています。ルイ16世の弟として生まれた彼は、長年の亡命生活を経て、ナポレオンの失脚に伴い王位に就きました。しかし、彼が直面したのは、以前のような絶対王政を望む保守派と、革命がもたらした自由を尊ぶ市民層との深い断絶でした。

 

彼は自身の権威を維持しつつも、革命の成果を完全には否定せず、国民に「憲章」を授与する形で立憲君主制を導入しました。これは、法の下の平等や議会の設置を認めるという、当時の王族としては極めて現実的で柔軟な選択でした。もちろん、その治世は決して平坦ではなく、ナポレオンの百日天下による一時的な追放や、過激な王党派による右傾化など、常に綱渡りのような政権運営を強いられました。

 

晩年は病に苦しみましたが、彼はフランスの君主として、革命後の新しい社会秩序と旧来の伝統をいかに融合させるかに心を砕き続けました。結果として、彼は処刑されることも追放されたまま終わることもなく、王座に就いたまま生涯を終えた稀有な王となりました。彼の存在は、流血の時代を終焉させ、フランスが近代国家へと脱皮するための重要な「緩衝材」の役割を果たしたといえるでしょう。

 

■ナポレオン1世とは

ナポレオン・ボナパルトは、18世紀末のフランス革命の混乱の中から彗星のごとく現れ、軍事・政治の両面でヨーロッパ全土に甚大な影響を与えた不世出の英雄です。コルシカ島の小貴族の家に生まれた彼は、卓越した戦術眼と指導力を武器に、フランス軍の将校として頭角を現しました。イタリア遠征やエジプト遠征での勝利を通じて国民的な人気を確立した彼は、1799年のブリュメール18日のクーデターで実権を握り、1804年にはフランス皇帝ナポレオン1世として即位しました。

 

彼の統治は、単なる軍事独裁に留まりませんでした。「ナポレオン法典」の編纂は、私有財産の尊重や法の前の平等といった革命の成果を明文化し、近代法の基礎を築いた歴史的偉業です。また、中央集権的な行政制度の確立や教育改革、フランス銀行の設立など、現代フランスの国家機構の骨格を創り上げました。彼の軍事的野心はヨーロッパ全土を戦火に巻き込みましたが、同時にそれは自由・平等といった革命の理念を大陸各地へと伝播させる役割も果たしました。

 

しかし、広大な領土を支配下に置いた「大陸帝国」の栄華は長くは続きませんでした。英国への対抗策である大陸封鎖令による軋轢や、1812年のロシア遠征での壊滅的な敗北が転換点となり、対仏大同盟軍による包囲網に屈することとなります。一度はエルバ島へ流刑となるも奇跡的な帰還を果たしましたが、ワーテルローの戦いで最終的に敗北し、大西洋の孤島セントヘレナでその波乱に満ちた生涯を閉じました。彼の失脚後も、ナポレオンが遺した近代的システムとナショナリズムの萌芽は、19世紀以降の欧州情勢を決定づける大きな遺産となりました。

 

■ナポレオン1世の晩年

 

ナポレオン1世の「百日天下」は、1815年3月1日、エルバ島を脱出してフランスに上陸したことから始まります。彼は兵を率いて進軍し、途中で政府軍の部隊と対峙しましたが、「お前たちはこの胸を撃てるか?」と呼びかけると、兵士たちはナポレオンに忠誠を誓い、彼の元に加わりました。その結果、ルイ18世は王位を捨てて亡命し、3月20日、ナポレオンはパリに凱旋し、再び皇帝に即位しました。

 

しかし、ヨーロッパ諸国は彼の復活を許さず、第七次対仏同盟を結成します。特にイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアが中心となり、ナポレオン討伐の準備を進めました。これに対し、ナポレオンは先制攻撃を仕掛け、6月16日のリニーの戦いでプロイセン軍を破ります。しかし、6月18日のワーテルローの戦いでは、ウェリントン率いるイギリス軍とブリュッヒャー率いるプロイセン軍の挟撃を受け、壊滅的な敗北を喫しました。

 

この敗北により、ナポレオンは6月22日に再び退位し、フランス政府に身を委ねました。彼は最初、アメリカ亡命を考えましたが、イギリス軍により阻止され、7月15日に降伏。イギリス政府によって南大西洋の絶海の孤島・セントヘレナへ流刑とされました。

 

セントヘレナ島での生活は過酷なものでした。監視の目が厳しく、自由な行動は制限され、健康状態も悪化していきました。それでも彼は回顧録の執筆に励み、自らの業績を歴史に残そうとしました。

 

1821年5月5日、ナポレオンはセントヘレナ島で死去しました。死因は胃がんとされていますが、毒殺説も存在します。彼の死後、その影響はなおも続き、フランスでは英雄として語り継がれました。1840年、ルイ・フィリップ王の命により遺骸はフランスに戻され、パリのアンヴァリッドに埋葬されました。

最近チェックした商品