【MS62】1811年 フランス 第一帝政 ナポレオン2世(ローマ王)誕生記念 金メダル
ナポレオン帝国の「黄金時代」を物語る歴史的傑作!
NGC鑑定枚数わずか4枚、その頂点に立つ”最高鑑定品”!
帝国最大の慶事である「ローマ王」誕生を祝し、パリ造幣局で製作された公式の金製記念メダルです。
世界市場で抜群の人気を誇るナポレオンコインから
市場では見かけることのできない極めて希少性の高い記念メダルのご紹介になります。
■デザイン
表面:月桂冠を戴くナポレオン1世と、宝冠をつけたマリー=ルイーズ
銘文:ANDRIEU F
裏面:左向きの幼きナポレオン2世
銘文:NAPOLEON F. J. C. ROI DE ROME(訳:ナポレオン・フランソワ・ジョゼフ・シャルル ローマ王)、XX MARS MDCCCXI(訳:1811年3月20日)
刻印師:ANDRIEU F
アンドリュー・F(Andrieu F.)は、19世紀のフランスの有名なメダル彫刻家。
フランスのコイン彫刻家といえば、バレ親子が非常に有名ですが、バレ親子に並ぶフランスのコイン彫刻家としてアンドリュー・Fは有名です。アンドリューが制作したメダルや硬貨は多数あり、現在でもコレクターの間で高い人気を誇っています。
■状態
MS62
■コイン詳細
【発行年】1811年
【鋳造地】パリ造幣局
【NGC鑑定枚数】4枚
【素材】金
【重量】3.72g
【直径】15mm
【表面】月桂冠を戴くナポレオン1世と、宝冠をつけたマリー=ルイーズ
【裏面】左向きの幼きナポレオン2世
【刻印師】ANDRIEU F
【NGC鑑定】MS62
■ポイント
*希少性
”NGC鑑定枚数4枚”
本品の希少性は、世界的鑑定機関PCGSにおいて鑑定枚数がわずか4枚しか確認されていない点からも明白です。
1811年、ナポレオン1世の嫡出子誕生を記念して発行されたこの金メダルは、当時、皇族やごく一部の要人への贈呈用として特別に製造されたと考えられています。
正式な発行枚数は記録に残っておらず、当時も宮廷という閉ざされた環境でのみ流通していたため、現存数は極めて少数です。なかでも本品のような高鑑定コンディションを保った金メダルはほとんど市場に現れません。
歴史的意義と美術的完成度を併せ持ち、さらに投資・コレクションの双方で評価される存在、
本品は、数あるナポレオン関連メダルの中でも別格の希少性を誇る一枚と言えるでしょう。
*状態
”NGC最高鑑定”
MS62:2枚(本品)
MS61:1枚
AU55:1枚
本品は、NGCにおいて最高鑑定となるMS62を獲得した、現存数極少のトップグレード品です。
約210年前のメダルながら、金の光沢とシャープな打刻を鮮明に留めており、保存状態の素晴らしさは一目で伝わります。
通常、この時代のメダルは記念品として愛蔵される中で摩耗や損傷が生じやすいものですが、こちらは人物の輪郭から極小の文字に至るまで当時のままの美しい姿を保っています。最高鑑定というステータスは、歴史的遺産としての価値をさらに強固なものにしています。
*市場性
ナポレオン帝国が全欧にその威光を轟かせ、絶頂期を迎えていた1811年。その歴史的頂点を象徴する1枚が、本作「ナポレオン2世(ローマ王)誕生記念金メダル」です。
ナポレオン1世は帝国の安泰を願い、愛妻ジョゼフィーヌと離縁してまで名門ハプスブルク家の皇女マリー=ルイーズを迎えました。そして1811年3月20日、待望の世継ぎが誕生します。パリ中に101発の祝砲が響き渡り、群衆が「皇帝万歳!」と熱狂したあの瞬間、このメダルはその喜びを形にするために鋳造されました。
しかし、その後の歴史は皮肉な展開を辿ります。ロシア遠征の失敗、帝国の崩壊、そして「ローマ王」と呼ばれた幼き皇子は、21歳の若さで病没しました。フランスで「鷹のひな(ライグロン)」と愛惜を込めて呼ばれるナポレオン2世の物語は、このメダルに儚いロマンと永遠のドラマを添えています。
このように、ナポレオン2世本人は「幻の皇帝」となりましたが、父ナポレオン1世が待ち望んだ唯一の嫡嗣(ちゃくし)である事実に変わりはありません。
歴史的背景、卓越した芸術性、そして比類なき希少性を併せ持つ本作品は、そうした帝国の光と影を映し出す象徴として、世界のコレクターの間で古くから大切に受け継がれてきました。
とりわけナポレオン関連の記念メダルは、没後200年(2021年)という大きな節目を経て、その歴史的価値が改めて広く知れ渡ることとなりました。現在、世界的な関心が一層高まっている中、こうした公式の記念作品が市場に現れる機会は限られており、今後も安定した需要と価値形成が期待されます。
黄金に刻まれた帝国の記憶、歴史を継承し、未来へと価値をつなぐ名品として、ぜひお手元に迎えていただきたい逸品です。
▼コインのストーリー
■概要
皇帝の愛と栄華を純金に封じ込めた歴史的傑作!
PCGS鑑定枚数わずか5枚、その頂点に立つ「最高鑑定品」
ナポレオン帝国が最盛期を迎えた1810年、
皇帝ナポレオン1世とオーストリア皇女マリー・ルイーズの婚礼を記念して製作された、
公式の金製記念メダルです。
■ナポレオン1世とは
ナポレオン・ボナパルトは、18世紀末のフランス革命の混乱の中から彗星のごとく現れ、軍事・政治の両面でヨーロッパ全土に甚大な影響を与えた不世出の英雄です。コルシカ島の小貴族の家に生まれた彼は、卓越した戦術眼と指導力を武器に、フランス軍の将校として頭角を現しました。イタリア遠征やエジプト遠征での勝利を通じて国民的な人気を確立した彼は、1799年のブリュメール18日のクーデターで実権を握り、1804年にはフランス皇帝ナポレオン1世として即位しました。
彼の統治は、単なる軍事独裁に留まりませんでした。「ナポレオン法典」の編纂は、私有財産の尊重や法の前の平等といった革命の成果を明文化し、近代法の基礎を築いた歴史的偉業です。また、中央集権的な行政制度の確立や教育改革、フランス銀行の設立など、現代フランスの国家機構の骨格を創り上げました。彼の軍事的野心はヨーロッパ全土を戦火に巻き込みましたが、同時にそれは自由・平等といった革命の理念を大陸各地へと伝播させる役割も果たしました。
しかし、広大な領土を支配下に置いた「大陸帝国」の栄華は長くは続きませんでした。英国への対抗策である大陸封鎖令による軋轢や、1812年のロシア遠征での壊滅的な敗北が転換点となり、対仏大同盟軍による包囲網に屈することとなります。一度はエルバ島へ流刑となるも奇跡的な帰還を果たしましたが、ワーテルローの戦いで最終的に敗北し、大西洋の孤島セントヘレナでその波乱に満ちた生涯を閉じました。彼の失脚後も、ナポレオンが遺した近代的システムとナショナリズムの萌芽は、19世紀以降の欧州情勢を決定づける大きな遺産となりました。
■ナポレオン1世の晩年
ナポレオン1世の「百日天下」は、1815年3月1日、エルバ島を脱出してフランスに上陸したことから始まります。彼は兵を率いて進軍し、途中で政府軍の部隊と対峙しましたが、「お前たちはこの胸を撃てるか?」と呼びかけると、兵士たちはナポレオンに忠誠を誓い、彼の元に加わりました。その結果、ルイ18世は王位を捨てて亡命し、3月20日、ナポレオンはパリに凱旋し、再び皇帝に即位しました。
しかし、ヨーロッパ諸国は彼の復活を許さず、第七次対仏同盟を結成します。特にイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアが中心となり、ナポレオン討伐の準備を進めました。これに対し、ナポレオンは先制攻撃を仕掛け、6月16日のリニーの戦いでプロイセン軍を破ります。しかし、6月18日のワーテルローの戦いでは、ウェリントン率いるイギリス軍とブリュッヒャー率いるプロイセン軍の挟撃を受け、壊滅的な敗北を喫しました。
この敗北により、ナポレオンは6月22日に再び退位し、フランス政府に身を委ねました。彼は最初、アメリカ亡命を考えましたが、イギリス軍により阻止され、7月15日に降伏。イギリス政府によって南大西洋の絶海の孤島・セントヘレナへ流刑とされました。
セントヘレナ島での生活は過酷なものでした。監視の目が厳しく、自由な行動は制限され、健康状態も悪化していきました。それでも彼は回顧録の執筆に励み、自らの業績を歴史に残そうとしました。
1821年5月5日、ナポレオンはセントヘレナ島で死去しました。死因は胃がんとされていますが、毒殺説も存在します。彼の死後、その影響はなおも続き、フランスでは英雄として語り継がれました。1840年、ルイ・フィリップ王の命により遺骸はフランスに戻され、パリのアンヴァリッドに埋葬されました。
■ナポレオン2世とは
フランス皇帝ナポレオン1世の嫡子として生まれたナポレオン2世は、栄光と悲劇が交錯する短い生涯を駆け抜けた貴公子です。1811年、パリのチュイルリー宮殿で誕生した彼は、生後まもなく「ローマ王」の称号を授けられました。父ナポレオンは、自らの帝国の正統な後継者として彼に絶大な期待を寄せ、世継ぎの誕生を熱狂的に祝いました。
しかし、父の失脚によって運命は一変します。1814年の退位に際し、数日間という極めて短い期間ながらも形式上の皇帝として即位しましたが、ナポレオン戦争の終焉とともにその地位を追われました。その後は母マリー・ルイーゼの故郷であるオーストリアに引き取られ、ウィーン宮殿で「ライヒシュタット公」として育てられることになります。
ウィーンでの生活は不自由のないものでしたが、フランスへの帰還を望む勢力の動向を警戒するオーストリア当局の監視下に置かれ続けました。若き公爵は軍人としての才能を現し始めていましたが、その繊細な精神と肉体は過酷な環境に耐えきれず、わずか21歳という若さで結核によりこの世を去りました。歴史の奔流に翻弄されながらも、今なお「鷲の子」として多くの人々に愛惜の情を抱かせる存在です。





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