【PF64】1862年 フランス 第二帝政 ナポレオン3世 試鋳貨 2フラン銀貨
秘蔵の逸品!
RR(非常に希少)にして、最高評価!
国家の最終意思決定前のプロトタイプであり、市場にはほとんど姿を現さない貴重な試鋳貨です。
世界中のコレクターを魅了してやまないナポレオンコインから、
他では間違いなく入手困難な、歴史的価値の極めて高いコインのご紹介になります。
■デザイン
表面:ナポレオン3世の肖像
銘文:NAPOLEON III EMPEREUR(訳:ナポレオン3世 皇帝)、下位部分には試鋳貨であることを示す「E」の刻印と肖像の刻印師である「BARRE」
裏面:フランス第二帝政の紋章
銘文:EMPIRE FRANCAIS (訳:フランス帝国)、2 - F(2フラン)
刻印師:パリ造幣局第18代総監師アルベール・デジレ・バレ(Desire-Albert Barre)
フランス貨幣史に名を刻む天才彫刻家。イギリスの名匠ウィリアム・ワイオンと並ぶ偉大な存在として、繊細かつ気品あふれるデザインを生み出しました。その作品は、時代を超えて今なおコレクターや歴史愛好家を魅了し続けています。
フランスコインの中には「BARRE」の名が多く彫刻されていますが、中でも一番有名なコインがナポレオン3世をモチーフにしたコインで、世界中で絶大な人気を誇ります。
■状態
PF64(Proof 64)
プルーフ(PF):通常の流通貨とは異なり、特別な製造工程を経て鏡面仕上げが施された贈呈用や保存用の貨幣を指します。
NGCの基準において「PF64」は、製造時の輝きを色濃く残し、打刻の鋭さが際立つ「極めて優れた保存状態」を指す上位評価です。160年以上の歳月を経てなお、皇帝の髪の毛のラインや紋章の細部に至るまで、試鋳貨特有の圧倒的なディテールが保持されています。
■コイン詳細
【発行年】1862年
【鋳造地】パリ造幣局
【NGC鑑定枚数】4枚
【素材】銀
【重量】約10g
【直径】約27mm
【表面】ナポレオン3世の肖像
【裏面】フランス第二帝政の紋章
【刻印師】アルベール・デジレ・バレ(Desire-Albert Barre)
【NGC鑑定】PF64(Proof 64)
■ポイント
*希少性
”NGC鑑定枚数4枚”
”PCGS鑑定枚数1枚”
本貨は、日常の流通を目的とした貨幣ではありません。新デザインの提示や技術検証のために、ごく限られた数量のみが製造された「試鋳貨(Essai)」という極めて特別な存在です。
専門カタログ(Mazard 1656)においても、本タイプは「RR(非常に希少)」とされ、市場に姿を現すこと自体が稀な歴史的遺産です。
特筆すべきは、二大鑑定機関における鑑定数の少なさです。現在、鑑定登録されている中で本貨の「64」という数値を超えるものは1枚も確認されておらず、事実上、本貨を凌駕するものは存在しないという「究極の証明」がなされています。
もともとの製造数が極めて少ない試鋳貨において、この鑑定枚数の少なさは、いかに現存数が限られ、希少価値が極まっているかを物語っています。
【試鋳貨(エッセイ)とは】
新しい貨幣を製造する前に、デザインや仕様を最終確認するために打たれるテストピースです。流通を目的としないため、製造数は数枚から数十枚程度と極めて少なく、その希少性は通常の流通貨とは比較になりません。
*状態
”NGC最高鑑定”
①PF64:1枚(本品)
②PF63:1枚
③PF62:1枚
④PF60:1枚
”PCGS最高鑑定”
SP64:1枚
本品は、2大鑑定機関(NGC、PCGS)において最高鑑定となる「PF64」を獲得した、現存数極少のトップグレード品です。
鋳造から160年以上を経た現在においても、当時の威厳と輝きをほとんど失うことなく保っており、保存状態の卓越性は一目で伝わります。
レリーフの立ち上がりは極めてシャープで、人物像の輪郭や細部の表現には一切の甘さがありません。表面にはプルーフ(PF)特有の上質な光沢が残され、フランス造幣局が誇った高度な彫刻技術と打刻精度が、余すところなく凝縮されています。
一般に流通しなかったからこそ守られた、歴史のタイムカプセルとも言える極上の保存状態です。
*市場性
この1862年「ナポレオン3世 試鋳貨 2フラン銀貨」は、単なる貨幣の枠を超え、フランス第二帝政の繁栄と、皇帝の権威を象徴する“極小の芸術品”とも言える存在です。
発行年の1862年は、ナポレオン3世が推進した「パリ大改造」が実を結び、フランスが近代国家として欧州の文化・経済の頂点に君臨していた絶頂期にあたります。近年にはサヴォイアとニースを併合し、内政面でも産業革命の進展により国力が飛躍的に増大した時代です。まさに、帝政フランスが最も輝きを放ち、万国博覧会の成功などを通じて世界にその威光を誇示していた歴史的瞬間を、このコインは封じ込めています。
このような繁栄の時代、次世代の貨幣デザインを決定づけるために、造幣局の威信をかけて打たれたのが本貨です。主席彫刻師アルベール・バレの手による月桂冠を戴いた皇帝肖像は、叔父ナポレオン1世の栄光を継承する強烈な意志が込められています。本作はデザイン確定直前の細部調整のために製作されたものであり、その細部までエッジの効いた打刻は、一般流通貨では決して到達し得ない“国家構想の真髄”を体現しています。
そして、本貨の価値を絶対的なものとしているのが、試鋳貨(エッセイ)という驚異的な希少性です。主要鑑定機関において登録されているものはNGC・PCGSを合わせてもわずか5枚しか存在しません。本貨はその貴重な5枚のうちの1枚であり、なおかつ最高評価の地位を獲得しています。シルバー特有の深みのあるトーンに包まれたその姿は、まさに歴史を刻む美術品と呼ぶにふさわしい佇まいです。
このような試鋳貨は、世界のコレクター市場において「最高峰のターゲット」として常に熱い注目を集めています。特にナポレオン3世の試作貨は、その芸術性の高さと現存数の少なさから、国際オークションでは驚くほどの高額で落札される傾向にあります。
“試鋳貨”であり、なおかつ“最高鑑定品”という、極めて限られた特権的ステータスを兼ね備える本品は、コレクションの域を超え、フランス近代史の遺産としての価値を併せ持つ極上の一枚です。世界的な現存数の少なさと需要の拡大を鑑みれば、将来的な市場価値の上昇も十二分に期待できる、極めて資産性の高いコレクションピースといえるでしょう。
ナポレオンコインが世界中で不動の人気を誇る中、その試作品という特異な地位にある本品はまさに別格の存在。コレクションとしての満足感はもちろん、資産保全や投資対象としても優れた一枚です。
歴史と芸術が凝縮されたこの逸品を、ぜひご自身のコレクションにお迎えください。
▼コインのストーリー
■概要
秘蔵の逸品!
RR(非常に希少)にして、最高評価!
国家の最終意思決定前のプロトタイプであり、市場にはほとんど姿を現さない貴重な試鋳貨です。
■第二帝政とは
フランス第二帝政(1852年~1870年)は、ルイ・ナポレオン・ボナパルトが「ナポレオン3世」として即位し、独裁的な帝政を築いた時代です。この体制は、1848年の二月革命での混乱を収束させ、安定を求める国民の支持を得て成立しました。ルイ・ナポレオンはまずフランス共和国の大統領に選出されましたが、任期満了に際して憲法改正が否定されたため、1851年にクーデターを起こし、翌1852年に皇帝としての地位を確立しました。
第二帝政の初期には、ナポレオン3世の独裁的な統治が強調され、報道や政治的な活動が制限されましたが、彼は経済の近代化や都市整備に力を入れました。特にパリの大規模な改造が有名で、都市計画者ジョルジュ・オスマンによるパリの再開発は、街の衛生状態を改善し、現代的な都市景観を生み出しました。また、鉄道の整備や産業の育成も推進され、フランスは工業化の波に乗ることができました。
一方で、対外的にはクリミア戦争やイタリア統一戦争などに積極的に関与しましたが、最終的に普仏戦争での敗北が決定打となり、ナポレオン3世は捕虜となり、帝政は崩壊しました。この敗北を契機にフランスでは第三共和制が成立し、第二帝政はその役割を終えました。
■ナポレオン3世とは
ナポレオン3世(Napoleon III, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は、フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。
ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、フランス皇帝ナポレオン1世の甥であり、彼の名前と家族の名誉を受け継ぎました。彼は1808年にパリで生まれ、幼少期にフランスを離れ、亡命生活を送りました。彼は1836年にフランスに帰国し、政治的な野心を抱くようになりました。
1848年の2月革命(フランス革命1848年)において、ルイ=ナポレオンはフランス第二共和国の大統領に選ばれました。その後、彼は立憲派との連携を築き、大衆の支持を受けて、1851年にクーデターを起こし、共和国政府を打倒して第二帝政を宣言しました。彼は「ナポレオン3世」として戴冠し、フランス帝国の皇帝となりました。
ナポレオン3世はフランス帝国の統治下で多くの改革と近代化を推進し、都市の再建、鉄道網の拡充、経済発展などを成し遂げました。また、彼の政策はフランスの植民地帝国の拡大にも繋がり、ヨーロッパ全体で中心的な人物となりました。
しかし、普仏戦争(フランス普仏戦争)による敗北で捕虜となり、帝国が崩壊すると、ナポレオン3世は1870年に退位し、亡命生活に入りました。彼はイギリスで亡くなりましたが、フランスの歴史においては近代化を進めた改革者として称賛される一方で、権威主義的な統治と冒険主義的な外交政策を押し進めた君主として世界的でも有名な君主の一人になっています。





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